ここち

HOME >> 短編小説 >>

とある夫婦のプリンをめぐる攻防


 とある素敵な土曜日の朝。
 ここ数日、深夜の帰宅が続いていた夫はまだ寝室で寝ています。ここ数ヶ月ほどきっちり定時退社している私は、早起きをして溜め込んだ洗濯物を洗濯機に放り込み、シリアルの朝食を済ませました。
 今は、柔らかな日射しの差し込むリビングで、優雅にお茶を啜りながら洗濯物の仕上がりを待っているところです。
「……はぁ。」
 午前十時。初夏の風に揺れるレースのカーテンを眺めながら、私は小さくため息を吐きました。
 お天気も好く、とても良い休日の朝なのですが、朝食のシリアルは少しばかり残量が不足していたようで、朝食を食べて三十分足らずで私はお腹が空き始めました。お昼には親友の歩美ちゃんとランチの約束をしているので、お腹がいっぱいになっても困るのですが、このままではレストランにたどり着く前に空腹で倒れてしまいそうです。
 私は湯飲みをテーブルに置くと、立ち上がりました。昨晩、夕食に「残り物一掃スープ」を作ったので冷蔵庫は空っぽのはずですが、ちょっと小腹を満たすくらいの食料は何か残っているかもしれません。
「な、に、か、あ、る、か、なー?」
 私は期待を込めて冷蔵庫の扉を開けました。今朝、シリアルを食べるためにドアポケットの牛乳を取り出した時には気が付かなかったのですが、冷蔵庫の奥を覗き込むと、見知らぬプリンちゃんが一名、お行儀よく鎮座していらっしゃいました。
 最近、プリンを購入した記憶はありませんが、蓋に印字された消費期限は一週間後。きっと昨日のうちに夫が購入して冷蔵庫に入れておいたのでしょう。最近、夫はお疲れ気味らしく、プリンだとかシュークリームだとか甘いものをよく食べています。
「北海道なめらかクリーミーミルクプリンエクセレント。」
 私はプリンちゃんを冷蔵庫から取り出すと、パッケージの文字を読み上げました。近所のスーパーで売っている3連パックのお買い得プリンに比べると、ちょっぴりゴージャスな名前です。きっと味もゴージャスに違いありません。思わず笑みが零れます。
 私は食器棚の引き出しからスプーンを一本手に取って、リビングのソファーに戻ると、《北海道なめらかクリーミーミルクプリンエクセレント》ちゃんを頂くことにしました。
 ――まずは一口。
「……んー。」
 名前の通り、なめらかな舌触り、ほどよい甘さ、ミルクの濃厚な味わい――星五つ!
 私はエクセレントなプリンちゃんをしっかり味わいながら完食しました。
「ご馳走さまでした。」
 スプーンと空になったカップをテーブルに置き、お礼を述べたところで、私ははたと気が付きました。私は夫が購入した――と思われる――プリンを夫に断りなく食べてしまったのですが、夫は自分の買って来たプリンがいつの間にか冷蔵庫から姿を消していることに気付いたら驚くのではないか、と。
 そこで私は、夫が驚かないように、メモを残すことにしました。
「ここにあったプリンを食べました。とってもおいしかったです。あや」
 文末にはハートマークを添えました。
「これで大丈夫!」
 私は書き上げたメモを冷蔵庫の奥の、エクセレントなプリンちゃんが鎮座していた場所に置きました。するとちょうど洗面所の方から、洗濯物の洗い上がりを知らせる洗濯機の悲鳴が聞こえ、私は冷蔵庫の扉を閉めるとスキップで洗面所へ向かいました。
 歩美ちゃんとのランチの約束に間に合うように、急いで洗濯物を干し終え、身支度を整え、私は家を出ました。夫はまだぐっすり眠っているようです。せっかくの好い天気なので、いい加減に起きた方が良いような気もしますが、とってもお疲れのようなので、今日は許してあげることにします。プリンの件は、メモを残したので大丈夫です。
 私は玄関の鍵がしっかり掛かっていることを指差し確認すると、鼻歌を歌いながら歩美ちゃんとの待ち合わせの駅へ向かいました。

***

 昼過ぎになって、何とかベッドを這い出ると、既に妻の姿はなかった。先週、学生時代の親友と食事の約束をしているという話を聞いたような気がするから、既に出掛けたのだろう。
 少しでも何か胃に入れなければと思いつつ、テーブルの上のシリアルの箱を手に取ったが、既に中身は空だった。ゴミはゴミ箱へと思いつつキッチンのゴミ箱を開いたが、パッケージの裏に「バーコード二枚でオリジナルグッズを当てよう!」の文字を目に留め、俺は仕方なくそれをテーブルの上に戻した。妻にとって、これはまだゴミではないのだろう。だからこそ、これはまだテーブルの上にあったのだ。
 俺はため息を吐きながら冷蔵庫を開けた。昨晩、コンビニで弁当と一緒に買ったプリンがあるはずだ。
 ――「あるはずだ」ということは、必ずしも絶対に「ある」ということを意味しない。
 冷蔵庫には、昨晩、確かに入れたはずのミルクプリンに代わって、一枚のメモが入っていた。
「ここにあったプリンを食べました。とってもおいしかったです。あや」
 丸みを帯びた丁寧な字で、文末にハートマークまで付けて、妻はメモを残していた。思わずメモを握り潰しそうになりながら、誰に向けるでもない笑顔を作って静かに冷蔵庫の扉を閉めた。
 そりゃあ、美味しかろう。たかがコンビニのプリンで税込み百七十八円もしたのだから。これで美味しくないなどということは許されない。
 リビングのチェストの上に置いてあった財布を掴み、それを妻の残したメモとともにパーカーのポケットに突っ込むと、俺は食料を調達するため家を出た。

***

 歩美ちゃんとのランチを終えて帰宅すると、夫はどこかへ出掛けたようでした。
 私は荷物をソファーの上に下ろし、同時に自分も腰を下ろしました。退屈です。何か面白いテレビ番組でもやっていれば良いのですが、リビングテーブルの上に載っていた新聞を開くと、今の時間は競馬中継とゴルフと……そろそろ犯人さんが断崖絶壁で告白を始めちゃいそうなサスペンスドラマに、芸能人が美味しいものを食べ歩くらしいバラエティー番組。
「お腹、空いたなぁ。」
 歩美ちゃんとランチを食べて来たばかりですが、ダイエット中という歩美ちゃんに合わせて、デザートを我慢したので、今日のお昼はちょっと少なめでした。既に時計の短針は三時を回っているし、そろそろおやつを食べてもいい頃です。
 私は途中でおやつを買ってこなかったことをひどく後悔しながら立ち上がりました。キッチンの冷蔵庫は既に空っぽのはずですが、時々予想外の「プレゼント」が入っているものなのです。
「僕のプリンです。食べないでください。真」
 私が冷蔵庫を覗き込むと、冷蔵庫の真ん中に見知らぬメモが残されていました。
「おや?」
 私がそのメモを取ろうとすると、セロテープで貼付けられたプリンちゃんが一緒に付いてきました。
「北海道なめらかクリーミーキャラメルプリンデラックス!」
 今朝はミルクプリンでしたが、今度はキャラメルプリンです。どうやら同じシリーズのようですが、私が星五つの評価を下したシリーズのプリンとあらば余計に期待も高まるというものです。
 今朝、私が夫宛に残したメモは冷蔵庫内に見当たらず、泥棒さんがご丁寧に盗んで行ったのでもない限り、どうやら夫はメモに気付いたようです。そして、代わりに、こんなにおいしそうなプリンと奇麗な楷書体で書かれたメモを冷蔵庫に入れてくれたようです。
 私はしばし考えました。この《北海道なめらかクリーミーキャラメルプリンデラックス》には「食べないでください」のメモが貼り付いているので、食べてはいけないもののようです。でも、私は今とてもお腹が空いていて、冷蔵庫内に他に食べ物は見つかりません。
 このプリンが夫のプリンであることは理解しました。そこで、私は《北海道なめらかクリーミーキャラメルプリンデラックス》ちゃんを美味しく頂いた後、メモを残すことにしました。
「真君のプリンを食べました。これからお夕飯の食材とプリンを買いに行ってきます。あや」
 これで大丈夫です。私はメモをダイニングテーブルに残して、再び鞄を手に家を出ました。エコバックも忘れずに持って行くことにします。

***

 コンビニのパンで朝食兼昼食を済ました後、書斎の机の上に貸し出し期限の迫っていた図書館の本を見つけた俺が、止むなく再び外出して帰宅すると、妻はまだ帰っていないようだった。既に日暮れである。取り急ぎ、冷たい風に揺れていた洗濯物を取り込み、ふとダイニングテーブルに目をやると、見慣れた字のメモが残されていた。
「真君のプリンを食べました。これからお夕飯の食材とプリンを買いに行ってきます。あや」
 どうやら妻は既に一度帰宅していたらしい。そして、またもや俺のプリンを無断で食べたらしい。用心のために貼付けたメモは全く役に立たなかったようだ。
 俺は抱えていた洗濯物をソファーの上に置くと、アイロン台を引っ張り出し、自分のワイシャツから順にアイロンを掛けることにした。

***

 最初に入ったコンビニに、《北海道なめらかクリーミーキャラメルプリンデラックス》はありませんでした。次に入ったコンビニには《北海道なめらかクリーミーミルクプリンエクセレント》はあったのですが、やはり《北海道なめらかクリーミーキャラメルプリンデラックス》はありませんでした。
 結局、私は五軒のコンビニをはしごして、やっと《北海道なめらかクリーミーキャラメルプリンデラックス》ちゃんを手に入れました。完璧です!
 私がうきうきして帰宅すると、既に夫も帰宅していて、ダイニングテーブルに頬杖を突いて退屈そうにしていました。
「真君、お待たせ! 真君のプリン、ちゃんと買って来たよ!」
 私がエコバッグから《北海道なめらかクリーミーキャラメルプリンデラックス》を取り出して頭上に掲げると、夫はちらりとこちらを見て曖昧な返事を返しました。ちょっぴり元気がなさそうなのは、やはり連日の残業でお疲れだからでしょうか。
「お帰り。夕飯は何にするの?」
 夫に尋ねられて思い出しました。そうです、私はプリント一緒にお夕飯の食材も買って来るはずだったのです。なぜなら、冷蔵庫の中が空っぽだからです。
「……プリンを探してコンビニ巡りしてたら、お夕飯のお買い物、忘れちゃった。ごめんなさい。」
 私が謝ると夫は小さくため息を吐きました。
「仕方ないね。何か頼もうか。ピザでも寿司でも……何にする?」
 そう言って夫はダイニングチェアから立ち上がりました。
「えっとねー、うんとねー……お昼が洋食だったからー、ヘルシーな和食が良いなあ。でも、お寿司は特別な日用だから、お蕎麦!」
 私が答えると、夫は電話台の下にファイリングしていたデリバリーサービスのチラシの中から近所のお蕎麦屋さんのメニューを見つけ出し、私に渡してくれました。
「僕は山菜蕎麦にするから、好きなの、決めて。」
 夫はメニューを開きもせずに自分の注文を決めたようです。私はそれから五分悩んで、天ざるを頼むことに決めました。

***

 注文通りの天ざると山菜蕎麦が注文から三十分と待たずに届き、妻は美味しそうに海老の天ぷらに齧り付いている。ざる蕎麦はヘルシーと言って差し支えないのだろうが、それに加えた天ぷらはだいぶカロリーが高そうだ。お昼に洋食を食べ、更に俺のプリンを二つも食べた妻の今日の摂取カロリーは決して低くはないだろう。それでも妻の体型が変わる気配はなく、一反木綿のような体型を維持しているのだから、えらく燃費の悪いの生き物だ。せめて胸だけでももう少し肉付きが良くなれば良いのに、などと思うのは贅沢だろうか。
「真君、食べないの? お蕎麦、伸びちゃうよ。」
 顔を上げた妻が俺の顔を覗き込んでいる。
「ああ、うん。」
 促されて、俺は自分の山菜蕎麦を啜る。正直、食欲はあまりない。昼食のパンがまだ腹に残っている感じだ。
「ご馳走さまでした!」
 あっという間に天ざるを平らげた妻は満足そうな笑顔を俺に向けて来た。
「これも、食べる?」
 俺は食べ掛けの山菜蕎麦を器ごと妻の方へ差し出した。
「え? 真君、食べないの?」
 俺が席を立つと、妻はきょとんとして俺を見上げる。
「うん。何か、もう良いや。」
「ダメだよ、ちゃんと食べないと。身体に悪いよ。」
 妻は心配そうな顔を向けるが、きっと食べ過ぎも身体に悪いのだ。
「大丈夫だよ、昼にちょっと食べ過ぎただけだから。」
「……本当に?」
 俺だって、もし妻が食事を残したら何かの病気ではないかと心底心配になるが、自分に関しては食欲が湧かないのも普通のことだと理解している。
「……もしかして、怒ってる?」
 妻が不安そうな表情で聞いて来た。
「何で?」
「真君のプリン、勝手に食べちゃったから……。」
 妻は俯きながら小声で言った。どうやら妻も人並みに気にしていたようだ。
「怒ってないよ。ちゃんと同じの買って来たくれたし。」
 俺は妻の頭を撫でた。怒るはずがない。妻が俺のプリンを食べたくらいで俺が怒るなら、この婚姻生活はとっくに破綻している。俺が買って来たプリンを妻が食べてしまったのは、俺が妻の目につくところにプリンを置いていたことに起因する。全ては俺の責任なのだ。メモを付けようが付けなかろうが、そんなものが役に立たないことは彼女の夫として当然理解していなければならなかった。彼女に「世間の常識」は通用しない。彼女が理解できるのは「彼女の常識」だけなのだ。
「……ああ、そっか!」
 妻は突然顔を上げてキッチンの冷蔵庫に駆け寄ると、そこから先ほど買って来たばかりのプリンにスプーンを添えて差し出した。
「これ食べて、元気出して、ね?」
「ありがとう。」
 正直、プリンを食べる気分でもないが、押し返すのも悪い気がして、俺はプリンを持ったまま書斎に籠ることにした。しばらくすれば、それなりの空腹感は生じるだろうし、あのまま冷蔵庫に入れておけば、朝には再び「食べました。」のメモに置き換わっていることもないとは言えない。
 今のうちに「確保」しておくのは正しい選択に違いなかった。

***

 日曜日。夫は朝から車でどこかへ出掛けていて、私は朝早く空っぽの冷蔵庫を満杯にするための買い物に出た後、家のお掃除に精を出していました。正午を過ぎて、そろそろ昼食の準備を始めなくてはいけないと思いつつ、外出中の夫に昼食の要否をメールで尋ねようと携帯を開いたところで、夫は帰ってきました。
「お帰りなさい! これかお昼の用意しようと思って。食べるよね?」
「うん。」
 帰宅した夫は、大きな段ボール箱を抱えていました。
「それ、なあに?」
「ちょっとね。書斎に置こうと思って。」
 夫はそう言うなり、そそくさと書斎に引きこもってしまいました。
 とりあえず、夫はお昼を家で食べるつもりらしいので、私はお昼のメニューを考えることにしました。昨日は麺類が多かったので、今日はご飯にしようと思いつつ、十分間悩んで、手早くできるチャーハンを作ることにしました。
 卵とタマネギとベーコンとニンジンと……インゲンもあったので入れてみました。
 タマネギ君に泣かされながら材料を刻み、火力全開で手早く炒めると、何とか美味しそうなチャーハンが出来ました。
 夫の分と自分の分をお皿に盛り付け、私は夫を呼びに書斎へ向かいました。
「お昼ごはんが出来たよー!」
 私が書斎に入ると、夫は部屋の隅で何やら作業中でした。
「何してるの?」
 私が夫の背後から覗き込むと、そこには小型の冷蔵庫がありました。高さ一メートルほどと小ぶりですが、扉は二つ、冷凍庫も付いているようです。
「ちょっと工作……。」
 そう言いながら、夫は冷蔵庫の扉と本体にシールで金具を貼付けています。
「よし、出来た。これ、僕専用だから。」
 夫は満足そうな表情で立ち上がり、小さな冷蔵庫の二つの扉にはそれぞれしっかり南京錠が取り付けられていました。
「それで、お昼ごはん、出来たんだって?」
 夫は久々に満面の笑みを浮かべて私に聞きました。
「うん、チャーハンだよ。」
 私も思わずにっこり笑って答え、私たちは二人一緒に書斎を出ました。

***

 仕事帰り、一際明るい蛍光灯の明かりに誘われて、近所のコンビニに立ち寄った。いつも通りにデザートコーナーへ向かうと、手書きのポップ付きで新商品が並んでいた。
「究極のあんみつ抹茶プリンパフェ……。」
 何とも怪しげな商品名が付いたそれは、抹茶プリンに白玉、ホイップクリーム、粒あん、ピンク色のサクランボに蜜柑や桃のフルーツが載り、更にそれに黒蜜を垂らした確かに《究極》には違いなさそうなデザートだった。それがあんみつなのかプリンなのかパフェなのかということはあえて問うべきではないのだろう。
 俺は思い切ってそれを一つ手に取って眺め、しばらく考えてから、更にもう一つを手に取ってレジへ向かった。さすがに一人で二つも食べられるような代物ではないので、一つは妻の分だ。
 帰宅すると、妻は既に寝ているようだった。「眠たくなりました。カレーがあります。おやすみなさい。あや」というメールが携帯に届いたのが一時間前だから、予想内ではある。
 キッチンの冷蔵庫を開けると、カレーは鍋ごとしまわれていた。俺は鍋を取り出して火に掛け、鍋の代わりに《究極のあんみつ抹茶プリンパフェ》を一つ、冷蔵庫にしまった。
「亜弥の分です。食べてください。真」
 念のために手書きのメモも添えておいた。自分の分は書斎の自分専用冷蔵庫にしまうつもりだ。

***

 朝起きると、冷蔵庫の中にスペシャルゴージャスなデザートが入っていました。
「亜弥の分です。食べてください。」
 テープで貼付けられたメモを読み上げ、私は思わずその場でくるくる回りながら踊ってしまいました。私のためにこんなおいしそうなデザートを買って来てくれるなんて、なんて優しい夫でしょう。
 私は朝ご飯の準備をひとまず置いて、この素敵な《究極のあんみつ抹茶プリンパフェ》を頂くことにしました。

***

 朝起きると、パジャマ姿の妻が幸せそうな顔で、俺が昨晩冷蔵庫に入れたデザートを頬張っていた。
「あ、真君、おはよー。これね、すっごくすごくおいしいよ! ありがとー!」
 妻はスプーンを握り締め、口の周りにホイップクリームを付けながら嬉しそうに言った。
「どういたしまして。それより亜弥、口元……。」
「ん? 口元?」
 妻はデザートカップをテーブルに置いて口元を拭おうと左手を上げたが、俺はその腕を掴んで制止した。
「……ん。んん?」
 俺は妻の口元に付いたホイップクリームを舐め、そのまま数秒間、妻の唇を塞いだ。
「うん、なかなか良いクリームだね。」
「ま、真君!」
 妻は耳まで真っ赤になって酸欠の金魚のように口をぱくぱくさせている。これは俺のプリンを二度も無断で食べた罰だ。別にプリンを食べられたくらいで怒りはしないが、俺だって時には《おいしそうなもの》が食べたくて我慢できないことがある。そこはお互いに許容してもらわなければフェアではない。
「朝ご飯、僕が作るよ。ハムエッグで良い?」
 俺は背を向けたまま妻に問うた。
「……う、うん。」
 か細い返事が返って来る。
 さあ、昨晩のカレーのお礼に半熟とろとろの特製ハムエッグを作るとしようか。俺はワイシャツの袖を捲りながら張り切ってキッチンに立った。

《了》


前頁 - あとがき
●○ 読んだ記念にポチッとどうぞ。↓ ○●
 

返信をご希望の場合や長文となる場合には
通常メールフォームが便利です。

HOME >> 短編小説 >>

Copyright © 2010 Aiko Kiryu. All rights reserved.