突撃! Glasses
第一話 情熱の赤で立ち向かえ! ―― (2)
「どうだ? なかなかのものだろう?」
アヤは謎の専門用語を混ぜつつ興奮した様子で早口に説明を終えると、満足げに孝志を振り返った。
「そうですね。」
孝志はアヤの説明の半分も理解できず、これならまだ大学一有名な肩書きばかり長い偉そうな教授の講義の方がましだと思いつつ、疲れた様子で返事をする。時計を確認していないからはっきりしないが、アヤの説明は優に二三時間は掛かっていた。それも、説明の大半が自ら開発したと言うシステムやら機械だかに対するアヤの思い入れとも言うべき怪しい修飾語の連続だ。スペシャルだとかハイパーだとか、何だかすごそうなことは分かったものの、実際、それがどう役に立つのかは全く記憶に残っていない。
「その眼鏡も気に入ったか? そろそろ顔にフィットしてきた頃だろう?」
アヤは疲れた様子で床に座り込んでいる孝志を見下ろしながら、まだ元気そうに笑った。
「あ、ああ……。」
言われて、孝志は自分が眼鏡を掛けていたことを思い出した。眼鏡を掛けるのなんて高校生の時にちょっとかっこつけてビーチでサングラスを掛け、恐ろしく似合わなかったことを除けば生まれて初めてで、掛けた最初は違和感を感じたはずなのだが、アヤの説明が無駄に長いこともあって、すっかり忘れていた。掛け心地はそんなに悪くない。ただ、似合わない。赤いフレームの眼鏡なんて、どこにでもいる冴えない大学生の孝志にはコントでもなければ使いこなせないアイテムだ。
「鏡で見てみるか? そうすればこの眼鏡がどれほど素晴らしいか分かるはずだ。」
アヤがにやりと笑って部屋の中央の円柱を操作すると、今度は円柱のドームから手鏡が一枚現れた。アヤは鏡を孝志に向けながら手渡す。
「あ……。」
手鏡に映った自分の顔を見て、孝志は唖然とした。髪は寝起きのままのぼさぼさ頭で服も着古したポロシャツなのだが、そこに映った顔は少しかっこいい。赤いフレームの眼鏡がぴったり顔に合っている。もう少し髪型と服装に気を遣えば、雑誌の片隅を飾ってもおかしくないくらいのイケメンだった。
「あ、あれ? これ、けっこう似合って……る?」
思わず孝志の顔に笑みが浮かぶ。
「当然だ。この眼鏡は私が開発したスペシャルアイテム! 言ったろう? この眼鏡を掛ければ誰でもかっこよくなれるのだと!」
アヤは腰に手を当てて高らかに笑う。その姿はどう見ても正義の味方と言うよりマッドサイエンティストだ。
「でも、眼鏡を掛けるだけで誰でもかっこよくなるなんてそんな……。」
孝志は「元が良いからだと思います。」と言いたいのを我慢して笑った。
「この眼鏡は特別なのだ。スペシャルなのだ! 掛けた本人の骨格、目の大きさ等を分析し、その結果に尤も似合う形に自動整形するのだ。従って、この眼鏡を掛けるだけで顔のアンバランスが矯正され、どんな人間でもかっこよく見えるようになる! デブはデブなりに、痩せは痩せなりに、だ!」
アヤは人差し指を天高く突き上げてポーズを決めた。先ほどのシステムの説明でもやたらとオーバーリアクションだったが、それを長時間続けても疲れを見せない彼女の体力には恐れ入る。
「よく見ろ! 最初に私が持っていた時とは眼鏡の形が若干変わっているだろう?」
アヤは孝志の目の前に手鏡を押し付けるように差し出して言った。確かに、言われて見ると、最初に眼鏡そのものを見た時よりもフレームが若干細くなったように見える。しかし、まさか眼鏡が自動で形を変えるだなんてそんなことが……。
「ふふふ、驚いているな、柳瀬孝志。この眼鏡はフレームの各所に取り付けられたセンサーが顔の形を測定し、弦の端にある接続端子から繋いだ通信装置で先ほど説明したこの巨大システムにデータを送るのだ! そしてシステムはそのデータを元に尤も適切な眼鏡の形状を求め、眼鏡へ形状データを返送する。」
孝志が眼鏡を確認すると、右の弦の端からコードが出ている。そのコードを辿ると、胸ポケットに四角い装置。小型のオーディオプレーヤーにも見えるが、小さなアンテナが付いている。
「それが通信機の本体だ。ちなみに、その眼鏡にはこの他にもヒーローに欠かせない特別な機能が多数備わっている。弦の端にある接続端子を用いて小型装置を接続することで様々な機能を追加することができるのだ! どうだ参ったか!」
アヤはまたも高らかに笑う。参ったかと言われても困るが、確かにすごい話だ。アヤの言うことが果たしてどこまで本当かはさておき、孝志はこの眼鏡を気に入った。この見た目なら憧れの優里と並んで歩いても不自然ではない。眼鏡のおかげか知的なイメージも加わる。孝志は手鏡を見つめながら満足そうに笑った。
「そういうわけで、メガネレッド! お前は今日から私と一緒に眼鏡戦隊グラッシーズの一員として正義のために戦うのだ!」
アヤの言葉に、孝志は目の前の自称天才科学者が救いようのない変人だということを思い出した。反射的に表情が暗くなる。
「その眼鏡を掛けて正義の味方として活躍すれば、松原優里のハートはお前のものだ! 世界の平和もゲット、恋人もゲット、一石二鳥で誰も文句は言うまい!」
アヤはそう言って笑うが、孝志の心の中は憂鬱な気持ちで満ち満ちていた。
「さっきから正義の味方だとかヒーローだとか言ってますけど、具体的に何をするつもりなんです?」
孝志はため息を吐きつつアヤに問うた。先ほどは勢いで「何でもやる」と言ってしまったが、やはりやりたくないものはやりたくない。
「そんなのは決まっている。正義の味方は悪と戦うのだ!」
アヤはさっぱりと言い切るが、アヤの言う「悪」が何なのかが分からない。まさか地球を侵略に来た宇宙人だとか怪獣だとかを相手に戦えと言うのだろうか。その戦いがこの無駄に広そうな地下室の中で繰り広げられるなら付き合っても良いが、表へ出るのはごめんだ。。変人のアヤと一緒に正義の味方ごっこだなんて、どんなに見た目が向上しても、阿呆な姿を優里に見られたら一発で嫌われてしまう。正義のヒーローごっこなんてまともな大学生がやることではない。
「だからその悪と言うのは……。」
「一先ず、掃除でもしてもらおうか。」
「はい?」
「正義の味方は綺麗好きでなければならないのだ。」
「あ、あの……。」
「お前には一階の部屋を頼もう。地下には大事な機械があるからな。素人に勝手に触られては困る。終わったらその眼鏡の通信機能で連絡するが良い。黄色のボタンを押せば基地と通信できる仕組みになっている。」
そう言うと、アヤは孝志を部屋の外へと押し出した。孝志は床に転がり、再び暗闇に残される。目が慣れるのを待って、ゆっくりとオレンジの誘導灯に従って階段を上った。
少なくとも、これでアヤのおかしな話からは一先ず解放された。部屋の掃除をしてくれなどと言われたけれど、そのまま玄関から逃げてしまえば良い。何だって他人の部屋の掃除などしなければならないのだろう。他人の部屋の掃除をするくらいならまずは自分の部屋だ。ちょうど今日は日曜日。思い切って古い服を捨てて、この眼鏡を掛けた顔に似合う新しい服を買いに出かけるのが良い。
孝志がそんなことを考えながら階段を上り切り、玄関のノブに手を掛けた時だった。
――ピーッピーッ。
突然響いた甲高い電子音に、孝志はびくりと身体を震わせる。
「メガネレッド、言い忘れていたが、部屋の電気は階段の脇だ。大事な部品もあるから踏み潰さないように注意してくれ。」
聞こえたのはアヤの声だが、辺りに人の気配はない。音の発生源は通信機能を搭載した眼鏡だ。
「それから……掃除はサボることなく念入りにやるように。もしサボったら……まあ、正義の味方のメガネレッドに限ってそんなことはなかろうが、万が一の時はお前の恥ずかしい写真を近所中にばら撒いてやるから覚悟しておけ。」
アヤは低く抑えた怪しい声で言い、それから高らかに笑った。
「は、恥ずかしい写真って何ですかそれ!」
「恥ずかしい写真は恥ずかしい写真だ。掃除が終わったら見せてやる。」
孝志が慌てて問うと、アヤは憎らしい笑い声を響かせながら一方的に通信を切った。
ボロアパートの大家・神宮寺アヤは自称天才科学者の変人だ。特撮ヒーローオタクでどうしようもない阿呆だ。だが……どこにでもいる冴えない大学生が太刀打ちできるような生易しい敵ではない。
孝志は階段脇の電気のスイッチを入れ、目の前に広がったあまりにも悲惨な光景に自らのあまりにも不幸な運命を確信した。ある場所では発明道具の金属類が食べ残しの宅配ピザにトッピングされ、またある場所ではお茶のラベルが張られたペットボトルに何とも表現しがたい不気味な色の飲み物か薬品かはっきりしないものが入っている。しかもその中身が半分床に零れている。最初に来た時、家具でも置いているのかと思った近辺には、金属片のゴミの山。
――正義の味方は綺麗好きでなければならないのだ。
脳裏にアヤの言葉が甦った。全くその通りだと思う。綺麗好きでない奴は正義の味方にはなれない。こんな汚らしい場所に住むのは正義の味方ではなく悪の魔王。ここは正義の秘密基地ではなく悪の要塞。
正義の味方であり、かっこいいヒーローであり、眼鏡戦隊グラッシーズのリーダーであるメガネレッドが戦うべき真の敵は神宮寺アヤ、グラッシーズの司令官なのかもしれない。
孝志は玄関の扉を振り向き、ため息を吐いて通信機の黄色いボタンを押した。
「あのー、ゴミ袋はどこにあるんでしょうか?」
頑張れメガネレッド。悪に打ち勝ち、世界の平和を実現し、意中の彼女を手に入れろ!