突撃! Glasses
第二話 爽やかな青で決めろ! ―― (2)
オープンカーが風を切る。後部座席――荷物置き場――のナンパ男が嗄れかけた声で悲鳴を上げ続けている。
「ところで、このスポーツカーどうしたんです? アパートの周りでは見かけませんでしたけど、アヤさんの車なんですか?」
孝志はこの車の出所を心配しつつ尋ねた。数々の犯罪を平気でこなすアヤのことだ。この車も盗難車かもしれない。
「レンタカーだ。『わ』ナンバーだったのに気付かなかったのか? メガネレッドともあろう者がまだまだ観察眼が未熟だな。」
アヤは笑った。
「そのメガネレッドって呼び方、やめてもらえません?」
孝志はため息を吐きながらアヤに頼んだ。優里の前で本名を呼ばれなかったことは幸いだが、メガネレッドという呼び方はどうかと思う。
「なんだ? グラスレッドの方が良いのか? 確かに戦隊名がグラッシーズだから、それに合わせた方が自然と言えば自然だが……。しかし眼鏡は左右合わせて複数形が原則だ。グラッシーズレッドとしなければワイングラスと間違えられかねん。とは言え、グラッシーズレッドというのは言いづらいと思うのだ。私はメガネレッドが妥当だと思うのだが……。」
アヤは巧にハンドルを捌きながらうんうんと考え込んでいる。時々視線が進行方向から外れているような気がして、孝志は不安だった。一般道にも拘らずかなりのスピードが出ているのは間違いない。
「メガネレッドで良いです。」
同じようなやりとりを少し前にもしたような気がして、孝志は今日何度目になるか分からないため息を吐いた。ため息を吐くと幸せが逃げて行くなんて誰かが言っていたような気もするが、今日吐いたため息の分だけ幸せが逃げたとしたら、もう二度と自分は幸せにありつけないだろうと孝志は思った。
アヤに常識的な何かを期待してはいけない。孝志は再び漏れそうになったため息を引っ込めると、頭を左右に振った。
「しかし、この車はいまいち遅いな。私が開発に携わればこの三倍は出る。」
アヤは速度を落とし切らぬまま交差点に入り、思い切りハンドルを左へ切った。孝志は身体を右へ振られ、慌てて車体に掴まる。後ろからゴツンと言う鈍い音が聞こえ、今の今まで喚き散らしていたナンパ男が急に大人しくなった。孝志は何となく背後で起きたことの予想がつき、振り向くべきか否か真剣に悩んだが、悲劇の現場を目撃するかもしれない恐怖からただ正面を見つめていた。
「全く、あの冴えないレンタカー屋は手続も遅いが車も遅い。到着が遅れてしまったのは全て奴のせいだ。」
アヤはぐちぐちと文句を零すが、不幸にも孝志の視界に入ってしまった速度メーターは目盛りの限界を振り切っていた。一般道で出せる数字ではない。孝志はめまいを感じたが、その割に体感速度の速くないことが不思議だった。異常な状況の連続で感覚が麻痺しているのかもしれない。
「近いうちに眼鏡戦隊専用のスペシャルカーを開発しようと思っているのだが、まだ資金が足りなくてな。設計は進めているが、変形時のスムーズな動きの確保が当面の課題だ。」
アヤはぶつぶつと呟く。「変形時」と言うからには、当然、アヤが想定している車は変形するのだろうが、普通の車は変形なんてしない。アヤの言う「変形」が幌の折り畳み可能なオープンカーのレベルに留まるものとは思えないし、ましてや追突事故でのボディのへこみ具合についてなんかではないことは聞き返すまでもなかった。特撮物の戦隊ヒーローが乗り回す戦闘機をイメージするのが正しいのだろう。
テレビのように上手くはいかないとしても、ボディの形が少し変形すると言うだけなら、現在の技術でもある程度は実現可能だ。しかし、それだけに孝志は不安になった。一般道にしてはやたら速いスピードで走るこのスポーツカーの三倍の速度が出る車なんて、その存在だけで既に恐ろしい。運転手がアヤともなれば尚更だ。仮に自分が運転するはめになったとしても、果たしてアヤの開発した車がまともに走るだろうか? ブレーキがないなんてこともありそうだ。
「まあ、遅刻したことはあのレンタカー屋の責任だが、私の指示は的確だったろう?」
開発中の車に関する独り言を終えると、アヤは再び孝志に話し掛けて来た。是が非でも自分の非は認めないというスタンスらしい。非を認めないどころか自分の有能性に完全に酔っているようだ。
「そうですね。」
孝志は反論することなく頷く。一刻も早くアヤから解放されたかった。命の危険に晒されるよりは、早く家に帰って勉強でもした方が良い。アヤの運転する車はここまで事故を起こさないのが不思議なほど速いスピードで街を駆け抜けている。途中、対向車線にパトカーの姿も見えたが、パトカーが追跡を始めるよりも早く、アヤはその横を駆け抜けてしまった。
「もう少しスピード落とせません?」
孝志は恐る恐るアヤに尋ねる。中途半端なスピードで警察に捕まるのも迷惑だけれど、人身事故だけは避けたかった。仮に捕まったとしても、運転していたのはアヤで、孝志がスピードアップを煽ったわけではない。むしろ自分は被害者だと主張して警察が納得してくれるかどうかはともかく、人身事故で責任を感じるよりはマシだろう。
「何? もっと出せ? さっきから言ってるだろう。既にこれがこのマシンの限界だ。」
正面からの風――空気抵抗が強すぎるせいか、それともエンジン音のせいか、あるいはわざとなのか、アヤは孝志の言葉を百八十度ひっくり返して解釈した。孝志が呆然とアヤの横顔を眺める。しかし間もなく、アヤの言葉とは反対に車は急に減速し、孝志は危うくフロントガラスへ突っ込みそうになった。正面に赤信号が輝いている。
スピード違反は犯しても、赤信号で止まるという最低限の常識は弁えているらしい。杖を突いた老人がゆっくりと横断歩道を渡って行く。
「お、お前ら……一体何なんだ?」
急停車と同時に再び後部から聞こえて来たゴツンと言う音に、生気のない男の声が続いた。何とか意識を取り戻したらしい。男の生存に孝志はホッと胸を撫で下ろす。
「ふふふ、さっきも言ったはずだがもう一度教えてやろう。よおく覚えておけ。我々は眼鏡戦隊グラッシーズだ!」
男の声が聞こえたらしく、アヤは後部を振り返って自慢げに告げた。アヤの大きな声は歩道を通り過ぎて行く人の耳にも届いたらしく、怪訝そうな視線が集まる。孝志は絶望感と共に顔を覆って俯いた。
男が突っ込みを返す間もなく信号は青に変わり、アヤは一気にアクセルを踏み込む。再びゴツンと音がして、車がボロアパートへ到着するまで男は声を発しなかった。
再び車が限界的なスピードを維持するようになってから数分後、ボロアパートの例の地下室で、アヤと孝志は部屋の中央の円柱に後ろ手に縛り付けられた男を見下ろしていた。
「それで、こいつはどうするんです? ここまで連れて来ちゃいましたけど、誘拐になりません?」
後ろ手に縄で縛られた男は、しつこく文句を言い続けている。無茶苦茶に走るスポーツカーの車内であちこちをぶつけた上、車を降りてからもアヤの乱暴な扱いで砂利の敷かれたアパート前を引きずられて来たから、全身あざだらけだ。可哀相だとは思うが、その惨めな状態で強気の言葉を吐かれても全く説得力がない。今の孝志にとって恐ろしいのは目の前の惨めなナンパ男よりも常識の通用しないマッドサイエンティスト、アヤの方だった。
「ふふふ、案ずるな。こいつは眼鏡戦隊グラッシーズの新たなメンバーとなるのだ!」
アヤは腰に手を当ててわははと豪快に笑う。
「新たなメンバー?」
「そう! 悪役は改心して味方になる! これがセオリーだ。」
アヤは笑いながら円柱のパネルを操作し始めた。
「おい、何勝手なことを言ってんだ!」
男がじたばたしながら抗議するが、孝志にはその相手をするつもりはなかった。アヤが仕切る場で余計なことを口にしてアヤの怒りを買うことだけは避けなければならない。
「今日からお前はこの眼鏡を掛けてヒーローになるのだ。」
孝志の時と同様、円柱から現れた眼鏡を手にアヤが言った。孝志の時と違うのは、眼鏡のフレームの色だ。孝志の眼鏡は赤だが、今度のは青い。
「冗談じゃない! 誰がそんなダサい眼鏡を掛けるか!」
男の反応は尤もだ。青い太めのフレームは相当なセンスでコーディネートしない限り、おしゃれでかっこいいとは言い難い。
「ふん。ダサいかどうかは掛ければ分かる。」
アヤはニッと笑って青い眼鏡を男の顔に掛けた。両手を縛られた状態の男に抵抗の術はない。
「今日からお前はメガネブルーだ!」
「だから俺はそんなの……。」
露骨に嫌な顔を見せて抵抗するが、アヤが男の正面に鏡を掲げると表情が変わった。
「あ……れ? この眼鏡、けっこう……。」
「うむ、よく似合っているぞ。知的な雰囲気を感じる。」
アヤがにこにこと笑いながら男をおだてる。
「そうかな?」
男はまんざらでもない様子で聞き返した。
「元がそこそこ良いと眼鏡も映えるな。」
アヤが言うが、眼鏡が映えると言うのは主客転倒の表現に思える。眼鏡をかっこよく見せても意味がない。
「やっぱり。」
自分が眼鏡の付属物のように扱われているにもかかわらず、男が突っ込みを返さないのは、アヤが掲げる鏡の中の自分に見惚れているからだろう。
「元々のかっこよさに眼鏡で知性が加われば、それはもう女の子にモテモテの色男の完成だ!」
アヤが妙に男を煽て上げているのが孝志には不思議だった。どちらかと言うと、アヤは人をとことん貶すタイプだ。そもそも、目の前の男に「元々のかっこよさ」があったと言うのが嘘くさい。どうしようもないほどの不細工ではないにしても、特別かっこいい男ではない。そもそも元はちゃらちゃらしたナンパ男だ。
「眼鏡がない時より百倍はかっこいいぞ。自分でもそう思うだろう?」
アヤが男に尋ね、男は満足した顔でうんうんと頷く。
「眼鏡を掛けるだけでこんなに変わるとは思わなかったぜ。これならナンパもし放題!」
男の貧弱な発想に呆れつつ、孝志は男がそれほどかっこよく変わったとは思えなかった。眼鏡が似合っているか否かを問われれば、似合っている部類に属すると答えただろう。しかし、はっきり言って普通だ。
「そうだ、この眼鏡を掛けて正義の味方として活躍すれば更に女にもてる! 共に戦おう、メガネブルー!」
アヤは人差し指で明後日の方向を指差しながら言った。
「いや、でも、俺は正義の味方とかって性に合わないと言うか……。」
男が躊躇うのも無理はない。孝志だってアヤの脅迫がなければ絶対に断っていた。今でも逃げ出したいと思っている。
「ほう? 嫌か? 嫌なのか? それならこの眼鏡は返してもらおう。」
アヤがパッと男の顔から眼鏡を奪い去った。
「ああ!」
「眼鏡のないその不細工な顔で一生を過ごすが良い!」
叫ぶと共に、アヤが眼鏡の代わりに鏡を男の前に突き付ける。男の顔色がみるみるうちに変わって、男は泣きそうな表情を見せた。
「だ、ダメだ! それがないと! 不細工に生きるなんて嫌だ!」
男の暴れようは半端ない。最初に無理矢理捕まえられた時よりも抵抗しているように見える。
「やる! 正義の味方でも何でもやるから! だからその眼鏡を返してくれ!」
男の言葉に、アヤはにんまりと振り返る。男は完全にアヤの思うつぼにはまっているのだが、不思議なのはどうして男がそんなにも眼鏡を欲しいと思っているのかだ。探せば、似たようなデザインの眼鏡はいくらでも見つけられるような気がする。それまで眼鏡なしで生きてきたのだ。たかが眼鏡。今更どうしても欲しいと思うほどの物ではない。孝志と違い、男はまだこの眼鏡の隠された機能――嘘か本当かは知らないが――についても聞かされていないのだ。
必死で喚いて眼鏡を取り戻そうとする男に、アヤはふふんと笑って見せる。返すか否かを考えていると言うよりは、勿体つけて遊ぼうという魂胆らしい。
「あの……一つ聞いていいですか?」
喚く男を楽しそうに見下ろしているアヤに、孝志はそっと声を掛けた。
「その眼鏡、何かあるんですか?」
どう考えても、男の反応は普通の眼鏡に対する執着心ではない。
「何かあるも何も、この眼鏡は私が開発したスペシャルメガネ! 機能は数多あるが、設計に関しては企業秘密だ。」
「いや、そうじゃなくて、何であいつがそんなにこの眼鏡に執着するのか……そんなにすごい見た目じゃないし、あいつはこの眼鏡の機能も聞いていないし……。」
孝志がぶつぶつと呟くとアヤが含みある笑みを見せた。
「まあ、お前の時よりも機能を強化したからな。」
「機能って、何の?」
「眼鏡の万能感に関する機能だ。眼鏡を掛けると自分が強くかっこよくなったような気になる。お前で試した時に少し機能が弱いようだったから、お前が掃除をしている最中に強化しておいた。一度眼鏡を掛ければ、もう二度と手放したくはなくなる程の素晴らしさだ!」
アヤは声を上げて笑う。しかし「もう二度と手放したくなくなる程の」という修飾句は本来「素晴らしさ」に関わるものではないだろう。もう二度と手放したくなくなるように何らかの洗脳システムが働いているとしか思えない。
未だに「眼鏡、眼鏡!」と暴れている男の表情には鬼気迫るものがある。まるで薬物依存症だ。
「危ない薬とか入ってないでしょうね?」
孝志は不安になって自分の眼鏡に触れつつアヤに尋ねたが、アヤはにこりと笑うだけで答えない。孝志は不安を通り越して確信した。危ない薬かどうか細かい点はともかく、この眼鏡に何か危ない機能が付いているのは間違いない。自分が掛けさせられた赤い眼鏡はまだその機能が弱いようだから、最初の実験台になったのはある意味幸運だったのかもしれなかった。顔をかっこよく見せるだけなら歓迎するが、人格まで変えられてはたまらない。
「ようし、では、入隊の儀式としてヒーローポーズを決めるのだ!」
アヤは満足した様子で眼鏡を男の顔に戻し、男を縛っていた縄を解いた。
「ヒーローポーズ?」
眼鏡を取り戻し、落ち着いた男が聞き返す。
「こうするのだ! 眼鏡戦隊グラッシーズ、メガネブルー参上!」
アヤはその場で真っ直ぐ飛び上がり、それからぐるりと円を描くように回した両腕を斜めに引いた。何となくありがちなポーズだ。はっきり言って、ダサい。
「げ。何だよそのダサい……。」
男も当然の反応を返す。眼鏡依存症でもそういった価値観は保たれるらしい。眼鏡依存症を作り出せるなら価値観に変更を及ぼすこともできそうな気がするが、それをしなかったのはアヤの良心かただのミスだろうか。
「やらんのか? やらんのならその眼鏡は……。」
アヤがそう言いながら男を振り返ると、男は慌てたように両腕を振った。
「どうやるんだ? こうか? 眼鏡戦隊グラッシーズ? メガネブルー参上!」
男は慌てて立ち上がり、先ほどのアヤを真似てポーズを決める。価値観が維持されても、結局眼鏡を理由にアヤに操られるのは同じらしい。孝志は全てがアヤの合理的な計算の下にあると確信した。
「うむ、良いぞ。なかなか様になっている。だが、手の角度が微妙に違う。こうきっちり四十五度にしてだな……。」
アヤと男は妙に熱心にポーズの取り方を研究し始めた。最初は「ダサい。」と言った男も、すっかりその気になっている。それが眼鏡の効果によるのか慣れによるのかははっきりしないが、孝志ははっきりと確信していた。
――自分も馬鹿だが、目の前の二人はどうしようもない馬鹿だ。
とにもかくにも、こうして眼鏡戦隊グラッシーズに新たな仲間が加わった。その名もメガネブルー! 世界に平和――あるいは混乱――をもたらす新たな戦士の誕生である。