突撃! Glasses
第三話 明るい黄色で笑え! ―― (2)
「ところで、あいつはどうしたんです? あの青い奴。」
少しでも時間稼ぎになればと思いつつ、また、いざと言う時には道連れが多い方が良いと思いつつ、孝志はアヤにメガネブルーのことを尋ねた。昨日、眼鏡戦隊に関する薀蓄をたっぷり聞かされた後、すっかり洗脳されたメガネブルーは眼鏡戦隊への入隊を心から嬉しそうにしてボロアパートから帰って行った。
眼鏡の通信機能を使えば連絡は取れるはずだが、孝志は未だにメガネブルーの本名も住所も何も知らない。唯一分かっていることは、彼がどうしようもない阿呆だということだ。
「ああ、奴なら先ほど呼び出しておいた。もうすぐ来るだろう。」
アヤは腕にはめられたごついデジタル時計を確認して言った。腕時計にしては少々大きく、やたらとボタンが付いているそれは、眼鏡と同じように何らかの危ない機能が付いた代物に違いない。
「呼び出して来るんですか?」
孝志は至極当然の質問を返した。ナンパ男のメガネブルーには優里をナンパしようと試みた過去があるとは言え、優里個人に対して執着があるわけではないはずだ。優里の危機だと言って呼び出したところで、面倒くさがって来ない可能性は十分にある。少なくとも、孝志がメガネブルーの立場だったら、いきなり呼び出されてやって来はしない。メガネブルーがどこに住んでいるかは知らないが、たぶんこの大学の学生ではないはずで、わざわざやって来て面倒に巻き込まれるなんて、孝志ならば冗談ではない。
「奴は来る!」
アヤは妙に確信した様子で言った。昨日、決めポーズについて話し合いながらだいぶメガネブルーと意気投合していたようだが、いつの間にそんな固い信頼関係を築いていたのだろう。
「奴が来ないはずはないのだ。なぜなら、奴の行動は眼鏡を通じて全て私が把握している。そして、万が一奴が私の意に反した行動を取れば、私がこのボタンをポチッと押すだけで奴の眼鏡に電流が流れ、奴はびりびりになってしまうからだ!」
アヤは白衣のポケットからライター程の大きさの機械を取り出し、孝志の前に掲げた。一つ気になるのは、機械のボタンに添えられた親指がしっかりボタンを押している点だ。
「おっと、しまった! また押してしまった!」
孝志が突っ込もうかどうか迷っていると、アヤは自ら気付いて親指を離した。果たして眼鏡に流れる電流と言うのは間違いで済まされる程度のものなのだろうか。アヤのことだ。いたずら程度の生半可な電流ではないような気がする。孝志はメガネブルーが途中で黒焦げになって倒れていないことを切に願った。
メガネブルーの眼鏡も、今孝志が掛けている眼鏡も同じ人間の作ったものだ。機能に多少の差はあるかもしれないが、基本は同じものと考えるべきだろう。だとすれば、孝志の眼鏡にも電流を流す機能が付いているかもしれないのだ。今すぐ眼鏡を外したいが、外したら外したでアヤの怒りを買い、電流を流されることになるかもしれない。孝志は眼鏡のフレームを抑えつつ、不安を空気に乗せて吐き出した。
間もなくして、メガネブルーが掲示板前へ姿を見せた。自慢の金髪がちりちりになっている。髪形を変えたのではなく、アヤが流した電流のせいに違いない。
「おお、メガネブルー! 斬新な髪型だな。とても似合っているぞ。」
アヤが現れたメガネブルーことナンパ男、つまり頭ちりちり男に向かって言う。自分のせいで本人の意思に反してこんな髪型を作り上げてしまったと言うことには全く意識が及んでいないらしい。散々な目に遭ったメガネブルーが果たしてどんな怒りの言葉を口にするかと孝志は不安になりつつも楽しみにしていたのだが、返って来た答えは孝志の予想に反していた。
「そ、そうっすか? いけてますか?」
メガネブルーはにこにこと笑いながらアヤに返す。そうじゃないだろうと孝志は突っ込みたかったが、平和な会話にあえて波風を立てる必要もない。この二人とはできる限り係わり合いを避けるべきだ。
「それで、ミッションは!?」
メガネブルーが興奮した様子でアヤに尋ねる。
「松原優里を狙う危険な変態アニメオタクを成敗するのだ!」
アヤは振り返って先ほど太っちょ男がいた方向を指差した。
が、指差された方向に既に太っちょ男の姿はない。アヤと孝志がやり取りを続けていうるうちから太っちょ男は既に姿を消していたのだが、話に夢中になっていたアヤは全く気付いていなかったらしい。孝志の視界の端には去って行く太っちょ男の姿が映っていたのだけれど、あえてそれを引きとめたり、追いかけたりしようと言う気にはならなかった。元々孝志はこのミッション――馬鹿げたヒーローごっこには関心がないのだ。
「逃げた!? 眼鏡戦隊に恐れをなして逃げ出したのか!?」
「大変です、悪を取り逃がすなんて! さあ、早く探しましょう、隊長!」
アヤとメガネブルーが大慌てで叫び合っている。
「ああ、早く探すのだ。だが、メガネブルー、私は隊長ではない。隊長は眼鏡戦隊グラッシーズの誇るべきリーダー、メガネレッドだ!」
アヤが孝志の肩を叩いて言う。
「リーダー!」
メガネブルーがきらきらと輝く瞳で孝志を見た。何をそんなに熱心になっているのだろう。
「私のことは司令官……いや、博士と呼んでくれたまえ!」
アヤが高らかに笑った。
「はい、博士!」
昨日、無理矢理拉致された時の抵抗ぶりはどこへやら、メガネブルーは完全にアヤの配下となり、意外な従順さを発揮している。
「それで博士、奴の特徴は?」
メガネブルーが言う。
「うむ。小太りで首にタオルを掛け、黄色いTシャツにリュックサックのダサい男だ。」
アヤが答えた。間違ってはいないが、ダサいと言うのはあまりにも主観的過ぎる。
「ようし、行くぞ、眼鏡戦隊グラッシーズ! 悪の変態オタクを生け捕りにするのだ!」
アヤが喜々として拳を高く掲げ、メガネブルーも「おー。」と声を上げてアヤに倣う。孝志は暗澹とした気持ちで肩を落とした。
三人いるのだから手分けして探せばいいのに――そうしたら捜索にかこつけて逃げ出せるのに。至極当然の孝志の提案を、その心裏を読んだのか、アヤとメガネブルーは受け入れようとしなかった。
「戦闘になった時に、メンバーが揃っていないと危険だ。俺たちはともかく、博士に万が一のことがあったらどうする!?」
メガネブルーの反論を孝志はさっぱり理解できなかった。アヤなら小太りの男一人くらいはいくらでも相手にできるだろう。単独で出会った場合に危険なのはむしろ小太りの男の方だ。アヤとメガネブルーが小太りの男に対してどんな暴行を働くか、孝志というストッパーがいなければ限界まで暴走しかねない。そのことを考えると、三人一緒に行動することはそれなりに意味があるような気もした。
間もなく、小太りの男は先ほどまで孝志が食事をしていた学生食堂の片隅で見つかった。暑苦しそうにラーメンを啜っている。
一体どんな修羅場になるのかと孝志は逃げ出したい気持ちに駆られながらも、小太りの男の運命を思い、何とかその場に留まった。
アヤが先陣を切って小太りの男に近付いて行く。
「おい、お前!」
アヤは小太りの男の前に立つと、威勢良く声を掛けた。小太りの男がラーメンの麺を啜りながらゆっくりと顔を上げ、動きを止めた。突然目の前に立った妙な女に驚いたのだろう。
「お前が変態アニメオタクだな?」
アヤの台詞は色々な意味であまりにもひどい。いきなり問われて自分は変態アニメオタクだと認めるはずもないし、変態アニメオタクという言い方がそもそもあんまりである。もう少し婉曲的な表現で問うのが普通ではないだろうか。
尤も、アヤに「普通」を求めること自体が間違っているのだということは孝志も分かっていた。いきなり殴りかからなかっただけましだと思わねばならない。
「ボ、ボボボボボボクは……。」
ラーメンを飲み込み、おどおどした様子で小太り男が答える。
「その貼り紙を見た。」
アヤは小太り男の前の椅子を引いて腰を下ろすと、小太り男がテーブルの端に置いていたチラシを一枚手に取った。
「だが、冷静になって考えろ! お前のようなダサい男がこんなチラシを撒いたところで一体どこの美女が集まるというのだ! お前のようなデブで暑苦しい男はアニメのキャラクターでも惚れはしない!」
アヤはチラシを男の目の前に突きつけて断言した。これで精神的ダメージを与えようということなのだろうか。ヒーローらしくない戦い方だ。いや、そもそも司令官であり博士であるアヤが直接敵と対峙していること自体、戦隊ヒーロー物のあり方として間違っている。律儀に王道を貫くことに対してこだわりを持っているわけではないが、アヤが一人で事を進めるなら自分はいなくてもいいのではないかと孝志は思った。
小太りの男は潤んだ瞳で不安そうにアヤを見ている。今にも泣き出しそうだ。勝敗は既に見えている。
「しかーし!」
にやりとアヤが笑った。
「このスペシャルヒーロー眼鏡を掛ければ、お前でもちょっとはマシな顔になる!」
アヤは白衣のポケットから眼鏡を取り出して小太り男の目の前に掲げた。眼鏡のフレームは黄色。基本的なデザインは孝志やメガネブルーの物と変わらない。これは悪の成敗と言うより、メガネブルーの時と同じ、新メンバーの勧誘だ。
「その効果は既にメガネレッドやメガネブルーが確認済みだ!」
そう言って、アヤは孝志とメガネブルーを振り返った。
「はい! これは素晴らしい眼鏡です、博士!」
メガネブルーがすぐさま答え、孝志は呆れた様子で視線を逸らせる。できれば他人のふりをしたかった。
「さあ、眼鏡を掛けてお前も眼鏡戦隊グラッシーズの仲間となるのだ!」
アヤはぐいっと身を乗り出し、小太り男の顔に眼鏡を掛けた。
「め、眼鏡戦隊グラッシーズって?」
「世界の平和と愛のために戦う正義の味方だ! 今日からお前はメガネイエローだ!」
アヤが宣言すると同時に、一体どこに持っていたのか、メガネブルーが小太り男――メガネイエローの前に鏡を差し出した。
「こ、これがボク?」
鏡を覗いたメガネイエローが驚いた声を出す。あっさりと洗脳されてしまったらしい。
「素晴らしいだろう? この眼鏡さえ掛ければデブサイクなお前もかっこいいヒーローになれるのだ。」
デブサイクと言うのは要するに、デブで不細工と言う意味だろうが、今日のアヤは一言一言がきつい。メガネブルーの時はおだても入っていたが、今回は徹底してけなすつもりのようだ。
孝志はアヤの変人ぶりを天然だと思っていたけれど、もしかするととてつもない計算の下に行動しているのかもしれない。妙におかしなノリも関心を集めるためのパフォーマンス、洗脳の一過程だとしたら……。孝志はぞくりと背中に悪寒が走るのを感じた。
「ボクがかっこいいヒーロー?」
昨日のメガネブルーのように、メガネイエローの顔が嬉しそうに緩む。
「そうだ! ヒーローになればアニメのキャラなんかに現を抜かさずとも、現実の可愛い女の子からモテモテだ!」
「現実の……。」
急にメガネイエローの表情が暗くなった。原因は何となく分かる。このアニメオタクはそもそも現実の女の子には興味がないのだ。コスプレの女の子に熱を上げるのも、コスプレをしているその女の個々人に興味があるわけではない。そのコスチュームが重要なのだ。着せ替え人形と同じで、可愛く衣装をコーディネートすることこそ重要なのだ。人形の表情や目の色ではなく、その人形が何を着るかが問題なのだ。
アヤも自分の失言に気付いたらしく、慌てて理論を修正する。
「つまり、現実の女の子にももてもてで、それはつまり当然、アニメのキャラにもモテモテと言うことだ! さあ、共に正義のために戦うのだ、メガネイエロー!」
アヤは勢いよく立ち上がり、ポーズを決めた。しかし、メガネイエローは俯いて何やら考え込んでいる。メガネブルーの時のようにそう簡単には勧誘できないかもしれない。そう簡単に勧誘されてしまうこと自体、おかしなことなのだ。いつアヤが痺れを切らして強硬手段に出るか心配しつつ、孝志は様子を見守った。
「……もしボクがかっこ良くなったら、優里ちゃんにスーパー巫女キララちゃんのコスプレしてもらえるかなあ。」
メガネイエローは俯いたまま呟いた。「優里ちゃん」の単語に孝志の耳がぴくりと反応する。優里ちゃんというのはたぶん間違いなく松原優里のことで、優里は今更繰り返すまでもなく、孝志が片想いをし続けている相手だ。それをデブサイクが馴れ馴れしく「優里ちゃん」と呼ぶなんて……ふつりと湧いた怒りに孝志は拳を握り締める。
「ああ、もちろんだ! 松原優里がメガネレッドのものになれば巫女だろうが何だろうがいくらでも頼んでもらえば良い!」
アヤがにこりと笑って良い、メガネイエローが孝志を見る。松原優里がメガネレッドのものになればということは、つまり、優里の彼氏になった孝志が優里にコスプレを頼めということだ。孝志はコスプレ愛好家ではないし、ただでさえ変な戦隊ヒーローごっこに巻き込まれていると言うのに、その上、コスプレをお願いしますだなんて、とてもではないが言えない。そもそも、優里が孝志の彼女になる可能性自体、著しく低いのだ。
メガネイエローがじっと孝志を見る。「優里ちゃんがお前のものになるなんて許せない!」とでも言い出すのだろうかと孝志は身構えた。
「ぜひっ、よろしくお願いしますっ、メガネレッドさん!」
メガネレッドにさん付けはないと突っ込みつつ、孝志は唖然とメガネイエローを見た。眼鏡効果は必ずしも主観的なものに留まるわけではないのか、眼鏡を掛けたメガネイエローが少しばかり好青年にも見える。
「とても楽しみです。」
メガネイエローは嬉しそうに笑い、メガネブルーが仲間の証と右手を差し出して握手を求めた。アヤとメガネブルーとメガネイエローはとても楽しそうに眼鏡について語り始める。
かくして、メガネイエローは眼鏡戦隊グラッシーズの三番目の戦士となり、孝志は名前も知らない妙な仲間を着々と――その意に反して――増やして行くのだった。