突撃! Glasses
第四話 穏やかな緑で包み込め! ―― (2)
団結式が終わり、いざ幸秀の魔の手から優里を救い出そうという一歩を踏み出した時、孝志は一瞬、神の声を聞いた気がした。というのも、始業のチャイムが鳴ったのだ。
もうすぐ授業が始まる。幸秀に声を掛けて妙な問答をしている時間はない。一先ず優里の目の前で変人を連れ立って変なことをするという事態は回避できることになった。と、孝志は思った。
しかし、それであっさりと諦めるならそれはもはやアヤではない。眼鏡戦隊グラッシーズではない。
「急げ! 授業が始まる前にあの似非インテリを松原優里から引き離すのだ!」
アヤの号令で、メガネブルーとメガネイエローがダッシュする。メガネイエローは小太りの割に妙に敏捷性が高かった。二人は、優里と並んで腰を下ろしていた幸秀に近付くと、それぞれ有無を言わさず幸秀の左右の腕を取る。
「え? ちょ……何?」
幸秀が戸惑いの声を上げるのも当然だった。優里や鈴子も含めて、教室内の視線が集まる。
「来い、似非インテリ!」
「観念するんだ、むっつりスケベ!」
メガネブルーとメガネイエローは口々に侮辱の言葉を口にする。似非インテリもひどいが、むっつりスケベはかなりひどい。
メガネブルーとメガネイエローに二人係で引きずられて行く幸秀を、優里が言葉もなく見つめる。
「ご、ごめん。大丈夫、すぐ戻るから。」
二人に引きずられながら、幸秀は心配そうな優里と鈴子に笑顔を向けた。こんなわけの分からない状況でも二人を心配させないようにと言う心遣いを発揮できるのはさすがだ。あまり嬉しくないことだが、優里と幸秀がまるで引き裂かれる姫と王子のように見える。どんなにヒーローと言っても、やはり悪役は眼鏡の方と見るのが普通だろう。
二人がずるずると幸秀を教室の広報へ引きずって来て、アヤは二人に向かって「ついて来い!」と言わんばかりに頷き、教室を飛び出した。二人がそれに続き、孝志も仕方なく教室から逃げ出す。結局、優里と一緒に講義を受ける幸せな一時は失われた。
教室の外へ出て、メガネブルーとメガネイエローは幸秀の腕を離す。
「一体、君たちは何なんだ?」
幸秀が怪訝そうに二人を睨みつけた。当然だろう。
「俺たちは……。」
メガネブルーが口を開き、メガネイエローと目配せをする。
「眼鏡戦隊グラッシーズだ!」
二人は声を揃えて言い、改めてポーズを決めた。幸秀はきょとんと二人を眺め、それからどうしてか二人とはやや距離を取って立っていた孝志に目を向けた。
「眼鏡戦隊って何?」
最もな質問だが、できれば自分に振ってほしくはない質問だ。揃いの眼鏡のせいか、幸秀は完全に孝志を二人の仲間と認識しているらしい。直接目の前の二人に問い返さず、あえて孝志に振ったのは目の前の二人よりは話が通じそうだと思われたからなのか、孝志はささやかな希望を抱きつつ、頭を抱えた。
「眼鏡戦隊グラッシーズは正義の味方だ!」
どう答えるべきか迷っている孝志に代わって、メガネイエローが声を上げる。
「優里ちゃんを悪の似非インテリでむっつりスケベのお前から守るんだ!」
「悪よ、滅びろ!」
メガネイエローとメガネブルーが幸秀を指差して叫ぶ。
「ごめん。ちょっと言ってることが分からない。授業始まるから、後にしてくれるかな。」
幸秀は苦笑しながら踵を返した。賢明な判断だと孝志は思うが、このまま幸秀が教室へ戻れるはずもない。グラッシーズの中で最も強力な人間がまだ口を開いていないのだ。
「待て!」
予想通り、背中を向けた幸秀にアヤが声を掛けた。幸秀は嫌そうな顔でゆっくりと振り向く。無視してそのまま教室へ戻ろうとしないのは、相手が変人奇人でも礼儀は守るというポリシーなのかもしれない。
「お前が似非インテリのむっつりスケベであることは分かっている! さあ、観念しろ、悪党め!」
アヤは幸秀を指差して啖呵を切った。幸秀は呆然としてアヤを見つめる。先ほどのメガネブルーやメガネイエローと同内容の台詞を繰り返されているだけなのだが、幸秀の反応は予想以上に驚きに満ちていた。アヤの白衣姿が珍しいわけでもないだろうし……ふっと孝志が考え込んだ時、幸秀が口を開いた。
「素晴らしい。」
幸秀は瞳をきらきらと輝かせながらアヤを見つめている。奇異な物を見る目ではない。
「お前は改心して眼鏡戦隊グラッシーズのメンバーとなるのだ!」
アヤは幸秀の妙な視線に怯むことなく、いつも通りの台詞を吐いた。
「あなたもグラッシーズのメンバーなのですか?」
幸秀は妙に丁寧な口調でアヤに問う。
「無論だ。私はグラッシーズの最高司令官にして天才科学者、神宮寺アヤだ! 博士と呼ぶが良い!」
「博士……。」
幸秀は確かめるように呟いた。
「今日からお前はメガネグリーンだ!」
アヤは白衣のポケットから緑色のフレームをした例のスペシャル眼鏡を取り出しす。
「さあ、この眼鏡を掛けてポーズを決めよ! 共に正義のために戦うのだ!」
一方的に話を進めるアヤに、幸秀はゆっくりと一歩踏み出した。真っ直ぐアヤを見つめ、幸秀はそっとアヤの手を包む。
「共に戦いましょう。あなたのために。」
「え?」
「へ?」
「は?」
幸秀の予想外の行動に、グラッシーズメンバーは間の抜けた声を漏らす。アヤでさえもポカンと口を開けて幸秀を見つめ、それから露骨に顔を顰めた。こんなにも困った顔のアヤを孝志は見たことがない。明らかにアヤはうろたえている。
「美しい黒髪に白い肌。あなたこそ僕の理想の女性、大和撫子です。」
幸秀の台詞に、孝志はやっとアヤが美人であるという事実を思い出した。いや、アヤが美人なのはずっと分かっていたのだ。確かにアヤは美人だ。しかし、アヤの変人ぶりを十分過ぎるほど知っている身としては、例えどんなにアヤが美人でも、アヤを理想の女性だとか、ましてや大和撫子などと言う人間がいるとは思わなかった。
アヤのハチャメチャな性格は大和撫子の対極にあると言っても良い。幸秀がこの奇妙な話の流れを理解した上でアヤを大和撫子だと考えたのなら、帰国子女であるがために幸秀は大和撫子の定義を勘違いしていると言う他ない。尤も、幸秀がこの奇妙な話の流れを全く理解せずにアヤを大和撫子と思い込んだのなら、それは幸秀が本当に似非インテリでメガネブルーやメガネイエローと同じ阿呆だと言うことになる。
「お、お前……て、手を離せ。」
アヤがどもりながら口を開く。
「そうだ! お前、アヤさんに慣れ慣れしく触るな!」
メガネブルーがアヤの後ろで抗議の声を上げる。どうやらメガネブルーもアヤにご執心らしい。眼鏡の洗脳効果でもあるのだろうが、ここしばらく、メガネブルーがアヤの忠実な僕であることは疑いようがない。
「そ、そそそ、そうだ。私に障るな!」
メガネブルーの声で我に返ったアヤは思い切り幸秀の手を振り払った。
「とにかくこれを掛けるのだ!」
アヤはぶっきらぼうに幸秀に眼鏡を差し出す。幸秀はにこりと微笑んでそれを受け取った。
「あなたが望むのなら眼鏡だろうと何だろうと。でも、一つだけ条件を出しても宜しいですか。」
「何だ?」
アヤはむすっとした表情で幸秀に問い返す。
「僕がこの眼鏡を掛けたら、この僕と結婚して頂けますか。」
幸秀の台詞にしばらくの間、時間が止まった。孝志はもちろん、メガネブルーもメガネイエローも何も返せずにあんぐり口を開けたまま幸秀を見る。一番最初に我に返ったのはアヤだった。
「じゃかあしい! とっとと眼鏡を掛けろ、下衆野郎!」
アヤは幸秀の腹部に思い切り飛び膝蹴りを食らわし、スペシャル眼鏡を幸秀の顔に掛ける。幸秀はそのまま崩れ落ちて地面に倒れた。
「やはり私の観察眼は間違っていなかった。このむっつりスケベめ!」
アヤはふんと鼻を鳴らして腕を組みながら意識不明の幸秀を見下ろす。幸秀の言動はむっつりスケベだからと言うよりももっと他のところにありそうだが、とにかく阿呆には変わりない。アヤがグラッシーズのメンバーに誘う人間はみんなどこかおかしいのだろう。自分もその仲間であると思うと情けなくなるが、少なくともこの強烈なメンバーの中では自分が一番まともだと孝志は思った。
「さ、さすが博士! 素晴らしいです!」
一種の怯えから回復したメガネブルーが感嘆の声と共に手を叩いた。
「とにかく、これで松原優里の危険は去った。私の開発したスペシャル眼鏡を掛ければどんな悪人も正義の心を取り戻す。」
アヤはいつも通りの落ち着きと自信を取り戻した様子で言う。アヤは、眼鏡を掛ければ正義の心を取り戻すと言うが、実際に眼鏡を掛けて手に入るのは正義の心ではなくアヤへの忠誠心だろう。
「さあ、早くこいつを秘密基地へ運ぶぞ。グラッシーズメンバーとしての教養をみっちり叩き込んでやる。」
アヤがにやりと笑みを見せた。自分をうろたえさせた幸秀に並々ならぬ恨みを抱いているらしい。教養を叩き込むと称して拷問が行われるのは目に見えている。
幸秀に対して少しばかりの同情を抱きつつ、見下ろしていた孝志をアヤが呼んだ。
「メガネレッド、お前も手伝え!」
孝志は慌てて幸秀に駆け寄り、メガネブルーと共に幸秀を抱き上げる。幸秀は未だに意識を失ったままだ。アヤの膝蹴りはばっちり決まったのだろう。
人は見た目によらないという諺を身に沁みて感じつつ、孝志は幸秀の腕を自分の肩へ回した。
アヤとグラッシーズのために今週もまた優里と一緒に講義を受けられなかったことを残念がりつつ、二回連続で欠席して単位が貰えるのかを心配しつつ、孝志は大きくため息を吐く。
かくして、帰国子女の優等生・椎名幸秀は、予想外の本性を見せた後、意識不明のまま、不幸にもグラッシーズのメンバーとして秘密基地へ迎え入れられることになった。