突撃! Glasses
第六話 白黒付けろ! ―― (2)
その夜は、グラッシーズの男性陣のみが交代で監視カメラの映像をチェックすることをアヤが決定し、男性陣はじゃんけんで夜の当番を決めた。孝志は先日メガネグリーンから聞いた必勝法を試してメガネブルーを出し抜き、無事に真夜中の当番を避けて午前一時には監視業務を終わらせ、メガネブルーと交代でベッドに入った。一時から朝の五時までという不公平な当番時間が設定されたのは、自分以外の誰かにそれを押し付けて楽をしようと考えたに違いないメガネブルーの提案だったが、メガネブルーのじゃんけんにおける弱点がメガネグリーンによってメンバー全員に知らされていることを知らないメガネブルーはまんまと相手の策にはまってしまった。
さすがに可哀相になって、前後一時間ずつ孝志とメガネイエローがまけてやることになったのだが、それでも夜の真ん中に四時間の監視業務は辛い。先ほど交代したメガネブルーはまだ半分脳みそが死んでいるような状態だったけれど、こんな真夜中に問題が起きることはまずないだろうし、何か問題が起きればメガネブルーが気が付くよりも早くセンサーが反応し、けたたましい警告音が響くに違いない。優里のストーカーと思われる存在は自分たちである可能性が高く、特に優里に危害を加えようとしているものの存在が疑わしい現状では、例えメガネブルーがモニタを前に眠り込んでしまったとしても何ら問題はないはずだった。
「たたたたた、大変だ!」
孝志がやっと眠りに落ちて夢の中を彷徨っていると、メガネブルーが慌しく部屋の中に駆け込んできた。枕元のデジタル時計――ひどく硬くて寝心地の悪いベッドだが、装備品はテレビとラジオ、小型コンピュータや口頭で命じれば雑務をこなしてくれるというロボットアームまで大いに充実しており、目覚まし付きの時計も機能の一つだった――を確認すると、時刻はまだ午前四時を過ぎたところだ。交代の時間には少し早過ぎるし、交代のためだけに同室の全員を叩き起こすような大声を上げてほしくはない。
「どうしたんだ?」
メガネグリーンが眠たそうに目をこすりながらメガネブルーに問うた。まだ寝ていたいだろうが、質問を返さなければメガネブルーは延々と声を上げ続けかねない。騒ぎに動じずスーパー巫女キララちゃんのフィギュアを抱えながら幸せそうに眠り続けているメガネイエローが恨めしい。
「彼女の部屋の前にいつの間に変なものが置いてあるんだ!」
メガネブルーは寝起きの二人に気を遣う様子はまるでなく、劈くような声を上げる。
「変なものって?」
「ぬいぐるみ……のような。」
この場でそれ以上の説明を求めても無駄だろう。孝志はメガネグリーンと顔を見合わせると、モニタを確認するためベッドから出た。
メインルームでモニタを確認すると、確かに優里の部屋の玄関扉の脇に、ぬいぐるみらしきものが置かれている。孝志がモニタを監視していた時にはなかったものだ。
「これ、いつからここに?」
「そ、それがよく分からねえんだ。気が付いたらあったっつーか……。」
メガネブルーの声は動揺を含んでいる。たぶん、間違いなく、メガネブルーは監視業務をサボったに違いない。一瞬目を離したくらいなら、大体の時間はすぐに分かるはずだ。モニタの脇にはデジタル時計も表示されているのだから。
「最後にここにこれがないことを確認したのは?」
「い、一時十分くらい。」
メガネグリーンの問いにメガネブルーが答える。やはり孝志と交代してすぐに、眠りに落ちたのだろう。左頬にはっきりとモニタの前の機械の形状にぴったりな跡が残っている。突っ伏して眠ってしまったのだ。
「いずれにしても、贈り物にしては尋常な時間じゃないね。」
メガネグリーンはため息を漏らしつつ、呟いた。
「博士に話した方が良いかな?」
メガネブルーが孝志に尋ねる。
「そうだね、一応。」
アヤに話して変な拡大解釈で迷惑を被りたくはなかったが、本当にストーカーがいるとなれば大問題だ。監視カメラの録画映像を確認するためにも、アヤに起きてきてもらわなくてはならない。
しかし問題は、VIPルームヘ繋がる扉には指紋認証システムという名の電流トラップが仕掛けられているということだ。孝志はメガネグリーンと顔を見合わせた後、お互い納得したように頷き合った。
「それじゃあ、メガネブルー。悪いけど、今すぐ博士を呼んで来てくれないかな?」
メガネグリーンが深刻な面持ちでメガネブルーに告げる。
「おう、任せろ!」
頭の空っぽなメガネブルーは素直に返事を返して仮眠室へと駆けて行く。アヤを呼んで来るという役目を得て、少しでもアヤに接触する機会が増えたことを素直に喜んでいるらしい。メガネブルーの背中を見送りながらふっと笑みを零したメガネグリーンを見て、孝志はメガネブルーに同情したが、その時には既にバチンッと空気を割くような音とメガネブルーの悲鳴が地下室に響き渡っていた。
「学習しないな、彼も。」
苦笑するメガネグリーンに、孝志は第二のアヤを見たような恐怖を覚えた。決して敵には回したくない相手だ。孝志は小さくため息を吐き、そのため息が学習能力のないメガネブルーに向けられたものではなく、スペシャル眼鏡の洗脳効果ゆえ――と信じたい――予想外の腹黒さを見せ始めたメガネグリーンに向けられたものだということに目の前のメガネグリーンが気付かないことを願った。
間もなく、メガネブルーの悲鳴とメガネブルーの試みに反応したらしい警報装置でアヤが起きて来た。
「一体何だ!? 真夜中に騒がしい!」
アヤは明らかに不機嫌な様子だ。
「それが、いつの間にか松原さんの部屋の前にクマのぬいぐるみが置いてあって……。」
孝志が恐る恐る口を開くと、アヤは露骨に顔を顰めた。
「いつの間にか……だと? ちゃんと監視していたんじゃないのか!?」
アヤの言うことは尤もだが、責任は孝志にはない。
「メガネブルーが気付いた時には既にクマのぬいぐるみが置かれていて、犯人の姿はなかったそうです。」
メガネブルーの失態を告げることを躊躇った孝志の代わりに、メガネグリーンがあっさりと口を開いた。メガネブルーがアヤの背後でびくりと肩を震わせる。
「ほう、なぜ、犯人が現れた瞬間に気付かなかったんだ?」
笑みを浮かべて振り向くアヤは明らかに怒っていた。
「す、すみません、ちょっと目を離した隙に……。」
メガネブルーが青ざめた顔で弁明するが、アヤを前にしてそんな言い訳があっさり通用するはずもない。
「まあ良い。」
アヤの第一声は孝志の予想に反していたが、二言目は孝志の予想以上にアヤらしい台詞だった。
「メインルームにも監視カメラを仕掛けてある。後で録画を見ればお前が居眠りをしていたことくらいはすぐに証明できる。」
アヤはメガネブルーに背を向けてきっぱりと言い切り、メガネブルーは打ちのめされたように膝を着く。他人の敷地にまで侵入して監視カメラを仕掛けるアヤだから、自宅のあちこちに監視カメラがあっても全くおかしくはない。きっと盗聴器も仕掛けられているはずだ。そう思うと、うっかり悪口を漏らすことは命を捨てるに等しい。孝志は改めて失言に気を付けようと気を引き締めた。
「それで、メガネイエローの姿が見えないが?」
アヤが辺りを見渡す。
「たぶん、まだ寝ているんだと……。」
孝志が答えると、アヤの表情が明らかに歪んだ。今日のアヤは機嫌が悪い。アヤでなくてもこんな真夜中に起こされて機嫌の良い人間はいないだろうが、アヤの機嫌が悪いということは常人の機嫌が悪いということの十倍は被害が大きくなる。
アヤは無言のままメインルームのモニタの前に歩み寄った。アヤが素早くパネルを叩くと同時に、ガコガコと不信な音が響き始める。そして間もなく、悲鳴と共にメガネイエローが仮眠室から飛び出してきた。Tシャツからはみ出した腕に痣らしきものが見えるのは、ベッドに付属していた機械がアヤの指示を受けて暴れ出したからに違いない。バチンバチンと何かを叩く音が確かに聞こえていたのだ。
同時に、突然、メインルームの床が動き出して大きな穴が開いたかと思うと、メガネピンクが勢い良く飛び出してきた。
「うっわー。何これ、何これ!? 超面白い!」
まるでトランポリンのように宙に飛び上がって着地したメガネピンクは楽しそうにきゃっきゃとはしゃいでいる。VIPルームにはメインルームへ通じる直通エレベータ――あるいは緊急脱出装置まで付いているらしい。
「ミラクル天使ウララちゃんの登場シーンみたいだ!」
即座に嬉しそうな声を上げたのはメガネイエローだ。アヤ製の目覚ましマシーンに文字通り叩き起こされた痛みは既に記憶の彼方らしく、きらきらと瞳を輝かせている。
「とにかく、録画を確認するぞ。」
アヤが再びパネルを操作すると、モニタに映っていた映像はきゅるきゅると巻き戻り、不審な人影を映し出した。すぐさま映像は正方向に再生され、優里の部屋の玄関前にクマのぬいぐるみを置く男の姿がはっきりと映る。映像はクマのぬいぐるみを置いた男が立ち去ろうと振り向く瞬間で一時停止された。顔がアップで映し出される。秘密裏に仕掛けられた監視カメラとは思えないほどはっきりとした映像だ。
やや長めの黒髪で目元は隠れがちだが、見るからに怪しい男だった。どこから見ても太陽の下が似合わないインドアなオタクだ。それも、メガネイエローとはやや趣の異なるオタクだ。そもそも体型が正反対だった。細身で顔は青白く、いかにも不健康そうだ。黒い服は格好付けているつもりなのか知らないが、全身から怪しいオーラを醸し出している。
「うっわ、気持ち悪い。」
メガネピンクが正直に感想を述べた。
「まさにストーカーの顔だな。」
まさにナンパ男の顔をしたメガネブルーが断言する。
「こんな夜中にクマのぬいぐるみを置いていくなんて一体どういうつもりなんでしょう?」
メガネグリーンが疑問点を述べる。
「でも、この男、どうやってマンションの中に入ったんだろ?」
続けてメガネイエローが述べた疑問に孝志ははっとした。
「そうだよ。このマンションはオートロックなんだ。部外者がこんな真夜中に簡単に侵入できるはずがない。」
孝志が声を上げると、すぐさまアヤが返す。
「まあ、私ならばセキュリティコンピュータに侵入して、暗証番号データを入手するくらいは容易だが、こいつがそれをしたとなると敵はなかなか手強いかもしれんな。」
アヤはにやりと笑みを浮かべたが、孝志には、たとえこのストーカー男が引きこもりのコンピューターオタクでも、アヤが言うほど簡単にオートロックをクリアできるとは思えなかった。
「いや、それよりもむしろ、この男がこのマンションの住人である可能性の方が高い……。」
ストレートにアヤの言葉を打ち消してしまったのは、つい推理に夢中になっていたからだ。室内が急にひんやりとして静まり返ったことに気付き、孝志ははっとして顔を上げた。何とか言い訳を考えたが、アヤに反論したように響いた台詞は今更引っ込めることもできない。
「さすがだ、メガネレッド!」
アヤは興奮した様子で声を上げた。反抗に対する制裁が下るかと覚悟していた孝志は、突然の声にびくりと身体を震わせる。
「さすがです、リーダー!」
「そうですよ、博士のようにオートロックを簡単に解除できる人間なんてそういない!」
「あの男は優里ちゃんと同じマンションに住んでいるんだ!」
「すっごーい、超簡単に犯人絞り込めちゃったじゃん!」
メガネブルーにメガネグリーン、そしてメガネイエローとメガネピンクがそれぞれ声を上げた。誰一人として孝志の言葉をアヤへの反抗と取らなかったどころか、孝志が当然のように閃いた真相に辿り着いた者もいなかったようで、全員が素直に感心している。孝志は自分が少し優秀になったような錯覚を覚えた。もちろん、それが錯覚であるということは周囲の阿呆さ加減を見ればすぐに分かる。眼鏡戦隊グラッシーズの平均値を世間の平均値と考えてはならない。ここは世間の最下層なのだから――孝志は心の中でしっかり自分に言い聞かせて頷いた。
「よし、そうと分かれば話は早い。マンションの玄関ホールに仕掛けた監視カメラの映像と照合してこの男が何号室の人間か割り出そう。まあ、自動プログラムを使えば朝までにははっきりするだろう。それまでは念のため、松原優里の部屋とマンションの人の出入りをこれまで通り監視してもらいたい。」
アヤはそう言うと、パネルを操作してプログラムを作動させ、それを背後で動かしつつ、モニタを二分割して優里の部屋の玄関前とマンションの玄関ホールの映像を映し出した。
「何かあっても朝までは呼ぶな。万が一の時はこの赤いボタンを押せ。優里の部屋の前か玄関ホールに生体反応があれば自動的に対象を捕捉するシステムになっている。」
アヤが操作パネルの脇の《非常時用ボタン》を指し示しながら言う。
「まだ試験段階だから、くれぐれも非常時のみ作動させるように。事故が起きても私は責任を取らん!」
アヤははっきりそう言い切ると、仮眠室へと戻って行く。
「了解しました、博士!」
「お任せください!」
メガネグリーンやメガネブルーは敬礼をしてアヤを見送るが、孝志は今更ながらアヤの横暴さにため息を漏らした。ストーカー男に危害を及ぼすとしても、朝までたっぷり寝ることの方が今のアヤには重要なのだろう。しかも、事故が起きても責任を取らないとは、製造物責任法なんて持ち出すまでもなく、とんでもない犯罪者だ。アヤの作るものだから危険度は大体想像が付く。命に関わるレベルで危険だ。事故が起きようが起きなかろうが、十分危険な結果が生じるに違いない。どうか朝まで、アヤが自然と目覚めるまで、何事も起きませんようにと孝志は祈った。例えストーカー男でも命を落とす事態にはなって欲しくない。殺人の共犯になるのも御免だった。
「じゃあ、メガネブルー、監視を続けてくれ。異変があったらすぐに知らせて欲しい。」
孝志は、既にモニタの前で張り切っているメガネブルーに告げると、のろのろと仮眠室へ戻る。現場にいない方が万が一の時に共犯の罪を着せられずに済むだろうと思いつつ、本当に万が一の際はできる限り危険な装置を使用せずに対処するよう指示を出さなくてはならないと孝志は常識人として判断していた。
今夜は長い夜になるだろう。睡眠不足のせいか、それとも硬いベッドが身体に合っていないのか、孝志は重い身体を引きずりつつ、身体以上に重い気持ちを抱えていた。