ここち

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突撃! Glasses

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第六話 白黒付けろ! ―― (3)

 睡眠不足と精神疲労のせいか、ベッドに入った孝志はいつの間にか深い眠りに落ちていた。再び意識が戻ったのは、バッチーンという甲高い音を聞くと同時に額に乾いた痛みを感じた時だ。
「な、何だ!?」
 ベッドから飛び起きた孝志は、壁からにょきりと出ている蝿叩きらしきものを見つめた。
「オハヨウゴザイマス。」
 蝿叩きはパタパタと振れながら無機質な声で囁く。枕元のデジタル時計は午前七時半を表示している。ここの目覚まし時計は音ではなく、文字通りに叩き起こしてくれるらしい。
「オハヨウゴザイマス。」
 パタパタと揺れている蝿叩きは同じフレーズを繰り返しながら段々と動くスピードを上げて行く。当然、蝿叩きが目標物――先ほどまで孝志の頭があったところ――を叩く強さも上がるわけで、孝志は慌てて枕元のスイッチを押した。
 蝿叩きはピタリと動きを止めて、何事もなかったかのように壁へ吸い込まれて姿を隠す。明け方にメガネイエローの腕に青痣を作り出した機械の存在を思うと、随分と甘い仕事だが、たぶん、あれは時間が経つにつれて強力な機能を持つに違いない。ただ単に速度を上げるというだけなら、メガネイエローが腕のあちこちに痣を作って悲鳴を上げるような事態にはならなかっただろう。ベッドの隣の壁には、何かが隠されていそうなパネルが他にいくつも並んでいて、巨大ハンマーが飛び出して来てもおかしくはない。アヤの日頃の行動を思えば、初手から巨大ハンマーが飛び出してこなかったことは奇跡に近かった。
 孝志はため息を吐きつつ、メインルームを出る。メガネグリーンとメガネイエローは孝志の受難にも気付かず穏やかな寝息を立てているが、二人共、明け方に一度起こされているからきっとまだ眠りたいだろう。アヤが起きてくる気配もなく、孝志はメガネブルーの様子を窺うことにした。
 メインルームの巨大モニタには優里の部屋の前と玄関ホールの監視カメラの映像が映っている。玄関ホールを横切る人影が目に付いたが、マンションを出て行くのはスーツ姿のサラリーマンだ。丁度出勤タイム、ちらりと見えた顔も優里のストーカーらしき以下にも怪しい男とは全く違う。
 モニタの片隅では「照合終了。該当データあります。」との文字列が点滅表示されていた。アヤの設定した自動プログラムは無事に作業を終えたらしい。該当データがあるということは、言わばストーカー男の正体が分かったに等しいわけで、当然、報告が入っても良いはずなのだが……。
 孝志はモニタの前でテーブルに突っ伏して大きな鼾を掻いているメガネブルーを見下ろしながら、叩き起こすべきなのか頭を抱えながら真剣に考え込んだ。アヤが起きてきて、再びメガネブルーの失態が明らかになれば、血を見ることになりかねない。無駄に派手なやり取りで時間とエネルギーを奪われることも本意ではなかった。
「おい、起きろ。」
 孝志は仕方なく、メガネブルーの肩を揺すりながら声を掛ける。
「うぅん……?」
 メガネブルーは、せっかくの親切を全く理解していないのか、邪魔そうに孝志の手を振り払う。
「起きろ、朝だぞ!」
 孝志がやや声を荒げてメガネブルーの身体を大きく揺らすと、メガネブルーはやっと涎を垂らしながら顔を上げた。全く、頼りにならない。
「あ。リーダー?」
 メガネブルーは半分しか開かない目を擦りながら孝志を見上げた。
「何か異常はなかったか?」
「はい、何もありませんでした!」
 孝志が呆れながら尋ねると、メガネブルーは妙に元気良く応えて敬礼する。今の今まですっかり眠りこけていた人間がどうして何もなかったと断言できるのか孝志にはさっぱり理解できなかったが、叱り付けたところで夢の中にいたメガネブルーから重要な情報が入手できるわけでもない。データの照合は済んでいるようだし、ここはメガネブルーと無駄な会話を続けるより、アヤに起きて来てもらうのが正しいだろう。
「照合は済んだみたいだから、データを参照したい。博士を呼んで来てくれるか?」
 孝志が淡々と返すと、メガネブルーは元気よく返事をしてメインルームを出て行った。既にメガネグリーンが指摘した通り、メガネブルーには学習能力というものが欠如しているらしい。これが眼鏡の洗脳効果――あるいはその副作用――なのか、それともメガネブルー自身の生まれ付きの能力の問題なのか、孝志にはよく分からなかった。
 孝志はテーブルの隅に付いた操作パネルに目線を落とし、以前アヤがしていたように操作パネルに手を触れて椅子を出す。それに腰を下ろすと、ついでにモーニングコーヒーも頼むことにした。毎日アヤの行動を見てきたために――正確には、毎日強制的に招かれて見たくなくてもアヤの行動が視界に入っていたために、孝志はいつの間にか基本的な機械の操作を覚えてしまっていた。
 メインコンピュータは複雑怪奇なプログラムを含んでいるから触らぬ神に祟りなしと肝に銘じているのだが、椅子やコーヒーがボタン一つで出て来るのは昨日は自宅にあったらさぞ便利だろうとさえ思う。
 孝志が目覚ましのコーヒーを味わっていると、間もなく、アヤが頭をちりちりにメガネブルーと共に仮眠室から出てきた。メガネグリーンにメガネイエロー、メガネピンクも眠そうな顔で続いてくる。
「それじゃあ、この天才科学者神宮寺アヤに楯突いた阿呆なストーカー男の顔を拝むとするか。」
 アヤはただ一人、たっぷり睡眠を取ったらしい爽やか表情を見せつつ、巨大モニタの前でパネルを操った。画面は即座に切り替わり、怪しい男を映した映像が複数のウィンドウに開く。いずれも映っている男は同一人物だ。
「ここ一週間分のデータを解析したものだ。頻繁に出入りしているようだな。マンションの住人と見て間違いないだろう。」
 言いながら、アヤは映像の一つを拡大した。マンション入り口の集合ポストを覗いている男の姿が映る。ぼやけた画像は段々と鮮明に修正され、最終的に男が覗いているポストに掲げられた部屋番号と名前を拡大する。
 ――503 鏑木。
「これが、奴の名前ですか!?」
 メガネグリーンが声を上げた。
「ああ、間違いないだろう。他の映像を確認しても、奴が覗いているのはこの503号室のポストと603号室の松原優里のポストだけ。他の人間が503号室のポストを覗いている場面も記録にないようだからな。」
 アヤは巨大モニタのあちこちにウィンドウを次々と開いて素早く確認して行く。
「優里のポストを覗くなんて、やっぱり完璧なストーカーだね!」
 メガネピンクが憤慨しいた様子で声を上げた。
「犯人の名前が分かったんだ。殴り込んでメッタメタのギッタギタにぶちのめしてやろうぜ!」
 メガネブルーが正義の味方らしからぬ暴言を吐く。
「成敗だ!」
 メガネイエローも合いの手を入れた。
「まあ、待て。せっかくのチャンスだ。ここはメガネレッドにヒロインの前でかっこよく決めてもらうとしようじゃないか。」
 アヤは椅子に座ったままくるりと向き直ると、にやりと笑みを見せる。
「かっこよくって……?」
 孝志が嫌な予感に襲われながら聞き返すと同時に、いつもの警報装置が大きな音を立てた。巨大モニタに今まさに玄関を出ようとする優里の姿が映し出される。
 玄関先に置かれたクマのぬいぐいるみに驚いたのか、優里がびくりと震えて動きを止めた。優里はそっとクマを拾い上げ、しばし考え込んだ後、クマが手にしていたカードを開く。監視カメラははっきりとその文面を映し出した。
 ――いつも君のそばにいるよ。君の王子より。
 ストーカーだ。完璧なストーカーだ。モニタに映る優里は表情を曇らせた後、手にしていた紙袋にクマを押し込んで、玄関の鍵を掛けるとカメラの枠から外れて行く。荷物からして、これから大学へ向かうのだろう。ここしばらく、グラッシーズの活動として優里を尾行することを続けてきたから、優里の一週間のスケジュールは大体頭に入っている。今日は二限からフランス語の授業が入っているはずだ。
 モニタの映像はすぐにエレベーターホールに切り替えられ、再び優里の姿を映し出した。そのまま、マンション内の至る所に仕掛けられた監視カメラで優里の姿を追いつつ、優里が玄関ホールへ姿を現したところで、アヤが呟いた。
「やはりな。ついに眼鏡戦隊グラッシーズの真に活躍する時が来たようだ。」
「どういう意味です?」
 孝志が聞き返すと、アヤは素早くパネルを叩いて玄関ホールの片隅を巨大モニタに映し出す。そこにははっきりとあの怪しい男の姿があった。
「あっ、ストーカー男!」
 メガネピンクが指差し叫ぶ。
「鏑木ですね。松原さんをつけるつもりでしょうか。」
 メガネグリーンが落ち着いた声で指摘した。
「眼鏡戦隊グラッシーズ、指令だ! 鏑木と松原優里を尾行せよ。そして、鏑木が何か行動を起こそうとした時には、すぐさま鏑木を確保するのだ!」
 アヤは勢いよく椅子から立ち上がると宣言した。
「了解しました!」
「お任せください!」
「逮捕だ!」
「メガネピンク行きまーす!」
 メガネブルーにメガネグリーン、メガネイエロー、メガネピンクとそれぞれ順に承諾の声を上げる。
「ただし!」
 敬礼をし、回れ右をし掛けた四人を制するように、アヤが声を上げた。
「今回の任務はメガネレッドに中心を担ってもらうこととする。」
「へ?」
 孝志が首を傾げると、アヤは四人と向き合ったまま、当の本人である孝志を無視して話し続ける。
「松原優里の前でメガネレッドが活躍すれば、松原優里はメガネレッドに惚れるに違いない! 私の開発したスペシャル眼鏡でかっこよく変身できることを証明するためにも、スペシャル眼鏡を掛けたメガネレッドの恋が成就することは重要だ。他のメンバーはメガネレッドが松原優里の前で存分に活躍できるようサポートに回って欲しい。」
 アヤはそこで一旦、言葉を区切った。
「分かったな?」
「はい!」
 アヤの確認の言葉に、四人は声も動きもぴったり揃えて返事をする。
「ちょ、ちょっと何を勝手に……。」
 呆然としていた孝志は慌てて口を挟んだ。優里の前で活躍なんてしたら、正体がばれるのは間違いない。変な連中と一緒にヒーローごっこだなんて、恋が成就するどころか、失恋街道一直線は必至だ。
「何だ? 何か文句があるのか、メガネレッド。」
 じろりとアヤが睨む。アヤの右手は不自然に白衣のポケットに突っ込まれていて、アヤはポケットから何かを取り出そうと僅かに手を動かした。たぶん、アヤがポケットの中で手にしているのはスペシャル眼鏡と繋がる電流発生装置だ。
「いえ、全く!」
 孝志は飛び切りの笑顔を作ってアヤに答えた。アヤに制裁の意図があろうとなかろうと、孝志の身体はこれまで見聞きし、実際に実を持って味わった経験から、条件反射で反応する。
「うむ、良い笑顔だ。ヒーローには笑顔も大事だぞ。さあ、グラッシーズの諸君、松原優里と鏑木を見失わないうちに追いかけるのだ!」
 アヤの声に、グラッシーズの面々は大きく頷いて地下室を駆け出して行く。
「健闘を祈る!」
 最後に地下室を出た孝志に向かって、アヤは親指を立ててグッと右手を突き出した。その右手にさり気なく握られているものがやはり予想通り電流発生装置だったということに背筋を凍らせつつ、孝志はアヤが「ついうっかり。」でボタンを押してしまわないことを切に、切に願いながら地下室から逃亡する。
 地上へ通じる薄暗い廊下で不意に閃光が光るのを見たような気がして、同時に、前方から「ぎゃ!」という悲鳴と、背後から「間違えた!」というアヤの声が聞こえて来た。孝志は痛みを感じなかったが、地上へ出た時、グラッシーズのメンバーの誰にも大した変化が見られなかったのは、既に今朝、高圧電流を食らっているメガネブルーが二発目を頂いたからに違いない。既にちりちりの頭はちりちりのまま変わっていないが、よくよく見ると多少悪化したような気がしないでもない。
「メガネブルーって、案外、アフロが似合うよね。」
 メガネピンクがメガネブルーの顔を見ながら無邪気に微笑んだ。電流でちりちりになった頭をアフロと呼んで良いのかどうかも不明だが、確かに、日の光の下で改めて確認すると、普通は妙でしかない髪型が似合って見える。あまりにも奇妙な似合いっぷりに首を傾げつつ、孝志はメガネブルーの眼鏡が変形していることに気が付いた。スペシャル眼鏡でかっこよくなると言うのは、こんな場合にも応用されるらしい。全くもってすごい眼鏡だ。
 ――この眼鏡があれば、もしかしたら本当に……。
 淡い期待と妄想を抱きつつ、ぼんやりとしていた孝志の背をメガネイエローが押した。
「早く行きましょう、リーダー! 優里ちゃんを鏑木の魔の手から守るんです!」
 メガネイエローに押され、孝志は本来の目的を思い出す。阿呆なヒーローごっこで軽蔑されるのは御免だが、今は本当に優里に危機が迫っていた。
 例え変人連中と同類視されて優里に嫌われるとしても、優里をみすみすストーカーの手に渡すよりはずっとましだ。孝志は急に自分の中に湧き出した熱い思いに押されながら、優里と鏑木を追って走り出した。
「よし、みんな、行くぞ!」
 自然と零れたリーダーらしい台詞に、グラッシーズは一致団結して優里と鏑木の後を追う。
 朝の空気が心地良い。孝志は俄然やる気になっていた。それがスペシャル眼鏡の洗脳効果だということには全く思い至らなかった。

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