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月影物語

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第四章 背負いし宿命 ―― (1)

 土曜日の朝、アズマはトーストを齧ると早々に家を出た。今日は宇野の家で一日中ゲーム三昧の予定だ。ゲームセンターへ遊びに行ったり、ゲームや漫画を貸し借りしたりという機会は最近急に増えたものの、家まで遊びに行くのは今回が初めてだった。大体の場所は聞いたものの、迷う危険を回避するために近所の公園で待ち合わせることにしていた。その近所の公園と言うのが、昨夜、雅臣と一悶着した公園で、公園に近付けば近付くほど憂鬱な気持ちが強くなる。
 公園に着いて、様子を窺うように植栽の陰から中を覗き込んだ。小学生くらいの少年が三人ほどでサッカーボールを蹴り合っている。こちらへ向かって頭を下げる雅臣の姿はない。当然だが、アズマはそのことに心底ほっとした。
「春宮ーっ!」
 声に振り向くと、自転車に乗った宇野がこちらへ滑るように近付いて来る。アズマが笑顔で手を上げると、宇野は高速のまま突っ込んで来て、衝突しそうな気配を感じたアズマは慌てて公園の中に避難した。
「よっ、お待たせ!」
 宇野は急ブレーキを掛けて公園の入り口を塞ぐように止まり、片手を挙げて笑みを見せる。乱暴な運転は悪意があると言うよりはもはや癖なのだろう。
「朝から爽やかだな。」
 直接、危険運転に対する文句を言うことを諦めて、アズマはため息混じりに宇野に返した。
「おう、当然だ。もてる男はいつ何時でも爽やかな笑顔を見せるもんだからな。どこで可愛い女の子が見ている分からん。まあ、大月とラブラブのお前は他の女なんてどうでも良いか。」
 宇野はけたけたと笑いながら自転車を降りて、その向きを変える。不意に出たカグヤの名前がアズマの意識を一瞬、昨夜まで引き戻した。雅臣から聞いた奇妙な話。嘘を吐いているようには思えなかった。ただ、信じて雅臣に従おうという気にはなれなかった。少し前まで雅臣は最も信頼できる親友だったのに、最近はどうしても上手く噛み合わない。昨日の夜も散々ベッドの中で考え込んだことだが、答えは出ないまま、ただ疲労だけが募った。
「春宮?」
 ふっと気が付くと、宇野が怪訝そうにアズマの顔を覗き込んでいる。
「あ、悪い。それでお前の家、こっちで良いのか?」
 アズマは慌てて笑顔を見せ、前方を指差しながら歩き始めた。
 宇野が手に入れた新作ゲームの話で盛り上がりながら、自転車を押して歩く宇野に並んでゆっくりと住宅街を歩いた。いつの間にか新しい一戸建ての並ぶエリアに入り、不意に宇野が足を止める。
「あ、ストップ。ここ、ここ。」
 アズマが振り向くと、宇野は隣の真っ白い壁の家を指差しながら笑っていた。
「へえ……?」
 アズマはゆっくりと視線をずらして宇野の指し示した家を見上げ、そのままあんぐりと口を開けて固まった。周囲の他の一戸建てと比べても明らかに大きな家だった。道路に面した敷地を囲う白壁は二軒分の長さがある。広い敷地に建つ家自体も、芸能人の御宅拝見番組に出てきそうなちょっとしゃれたデザインだ。真っ白な壁はまだ新しく、車庫の上に建物が載っているから、建物の高さを余計に感じてしまう。見下ろされている感じだ。
「ま、とりあえず入れって。」
 宇野は自転車を門の内側に入れると、アズマを促して玄関へ続く階段を上がって行く。アズマはため息混じりで宇野を追い掛けた。
「今日、親は二人共留守だからさ。気楽にしてくれて良いよ。」
 玄関を開けた宇野はそう言ったが、覗いた玄関はとても気楽にできる雰囲気ではなかった。玄関に敷き詰められた特徴ある模様の石が大理石であることはすぐに分かったし、そもそも玄関がアズマの暮らす3LDKのマンションとは比べ物にならないほど広い。マンションと一戸建ての違いとして当然の部分もあるだろうが、やはりどう考えても広い。
「お前の家、金持ちだな。」
 思わずアズマは漏らした。
「金持ちっつうか、バブルの名残だな。母方のじいちゃんが小さい会社の社長で娘と孫に甘かったからこんなん建てちゃったけど、親父はただのしがないサラリーマンだし。」
 宇野はけらけらと笑いながら靴を脱いで奥の部屋へと入って行く。
「あ、階段上がってすぐ右が俺の部屋だから、先上がってて。飲み物持ってくから。」
 そう言って、宇野は階段脇の部屋へ姿を消した。アズマは脱いだ靴を丁寧に並べ直してから、正面の階段を上がる。つい辺りを見回してしまうのは庶民の性だろうか。
 宇野に言われた通り、階段を上がってすぐ右の部屋へ入る。扉を開けると同時に、アズマは再びため息を吐いた。広過ぎるのだ。高校生一人の部屋とは思えなかった。アズマの家のリビングダイニングよりも広いのではないかと思う。
「何だよ、これ……。」
 あまりの世界の違いにアズマは全身でため息を吐いた。壁の棚にはオーディオコンポに大型液晶テレビが並び、大きなベッドとパソコンの置かれた巨大な机、壁一面の作り付けの本棚にはずらりと漫画が並んでいる。せめて本棚の中身が参考書や専門書だったらもう少し納得できたのだろうが、どうにも素直に感心できない部分がある。唯一、アズマが心から感心したのは、部屋の中がきれいに片付いていたことだ。尤も、これだけ広ければ置き場に困って収納からあふれ出る物などはないのだろう。
 アズマが部屋の中央に突っ立ったまま辺りを見回していると、がちゃりと扉が開いて宇野が顔を出した。
「お待たせ。ジュースと麦茶、どっちがいい?」
 宇野が手にしていたお盆には、ペットボトル二本とコップ二つ、それにクッキーを載せたお皿が載っている。
「どっちでも。」
「じゃあ、麦茶で。」
 アズマが答えると、宇野はお盆を部屋の中央に下ろし、二つのコップに麦茶を注ぎ始めた。
「この部屋、一人で使ってるんだよな?」
 アズマは宇野の向かいにそっと腰を下ろして尋ねる。
「ああ、兄貴の部屋はこの向かい。俺の部屋より広い。」
「へえ。」
 アズマは薄笑いを浮かべながら返した。宇野は兄の部屋が自分の部屋より広いことが不満そうだが、アズマにとっては十分広いこの部屋より広い部屋を子供に与えられる宇野家全体が不満だ。これで宇野が自慢話でも始めたら喧嘩になりそうだが、宇野にはそのつもりはないらしい。宇野の基準ではこの程度では自慢にもならないということなのだろう。それはそれで不満だが、上には上がいるもので、一々腹を立てていては切りがない。
「とりあえず、例の奴やるか?」
 自ら注いだ麦茶をぐいっと一口飲んだ後、宇野は戸棚からゲーム機を取り出す。
「ああ。」
 アズマは笑顔で答え、コードを繋ぐのを手伝った。その間に宇野が棚からソフトを持って来る。
「俺のセーブあるけど、最初からやるだろ?」
 宇野は本体の電源を入れてソフトを本体にセットしつつ、さっさとタイトル画面を表示させ、片手でコントローラーを操作した。空いたもう一方の手はクッキーに伸びている。簡単な操作説明をしてから、宇野がアズマにコントローラーを渡した。今日、プレイする予定のゲームは一人用のRPGだ。
 アズマは宇野の解説と助言を聞きつつ、ゲームを進めた。主人公は魔王に攫われた許嫁を救うために旅立つのだが、その過程で主人公自身に関わる謎が少しずつ明らかになっていくというストーリーだ。グラフィックも丁寧に作り込まれていて、発売日には店の前に長蛇の列ができるほど人気の高いシリーズの第五作目に当たる。
 発売日からまだ三日、アズマは財布の中身と相談した結果、当分は手に入らないだろうと覚悟していた。宇野がこのゲームを発売日に手に入れていて、かつ、早々にアズマにそれをやらせてくれるということは、アズマにとって願ってもない幸運だった。話を聞いた時、アズマは大喜びで宇野の招待に応じて楽しみにしていた。それなのに、ゲームを進めるうちにアズマは次第に憂鬱になった。
 ストーリーが進むたびに、何かが心に引っ掛かる。主人公が神の子であると告げる神官が現れ、村人が主人公を勇者と讃える。ゲーム画面を見つめながら、脳裏に浮かぶのは昨夜の雅臣の顔だ。
 いつの間にか宇野が頼んていた宅配ピザを齧りつつ、アズマは宇野と交代でゲームを進めた。経験値を稼ぐのにたっぷり時間を使ってのんびり進めているが、そろそろ中盤の盛り上がりを迎えようと言うところだ。さすがに今日中にクリアするのは難しいだろう。既に窓からは西日が射し込んでいる。
「だいぶ長居したから、今日はこれくらいにしとくよ。」
 壁に掛かった時計を確認しつつ、アズマはデータのセーブを済ますとコントローラーを置いた。
「何だ、もう帰るのか? 今日は一日付き合う約束だろ? まだ五時前だぜ?」
 宇野は笑いながら言い、ジュースを呷る。
「まだ五時前って、朝から来てもう八時間だぞ。目がしばしばする。」
 アズマは笑いながら目を瞬かせた。
「夕飯食ってけよ。どうせ明日も日曜だし、何なら泊まれ。」
「いや、それはさすがに……。」
 宇野の広い家ならアズマを泊める空間は十分にあるだろうが、昼食までご馳走になった上に夕飯まで食べさせてもらうなんて図々しくはなれない。夜になって宇野の両親が帰ってくれば、お金持ちと庶民の違いに居心地悪く感じそうだ。
「夕飯は家で食べるって言ってあるし……。」
 アズマが丁重に断っても、宇野はしつこく説得を続けた。
「それくらい、家に電話すれば良いだろ? せっかく俺がお前のためにご馳走を用意してるってのに。」
 宇野はにやりと笑ってアズマを見る。
「ご馳走? そんなの聞いてないし、悪いし……。」
「まあ、せっかく用意したんだ。それだけでも食ってけよ。食べても腹は膨れないが、心はいっぱいになる代物だ。」
 宇野が笑顔のまま立ち上がり、アズマは首を傾げながら宇野を見上げた。ふとガチャリと音がして、扉へ目を向けたアズマははっと息を呑む。
「こんにちは、春宮君。」
 開いた扉の隣に、カグヤが笑顔を湛えて立っていた。
「な、何で……?」
 立ち上がり掛けたアズマが問うても、カグヤは微笑みながら真っ直ぐアズマを見つめて近付いて来る。アズマは気圧されるように再び腰を落とした。
「俺は下にいるから。それじゃあ、ごゆっくり。」
 宇野はにんまり笑うと、部屋を出て行こうとする。
「宇野!? ちょっと待て。どういうことだよ?」
 一体どうしてここにカグヤがいるのか、分からなかった。宇野がアズマとカグヤをくっつけようと余計な気を利かせてくれたのだと考えることは難しくはない。しかし、アズマはこの事態を宇野の余計なお世話で片付ける気にはなれなかった。昨晩の雅臣の言葉が甦る。
 ――大月カグヤは宇野と謀って君の魂に眠る月の力を狙ってる。
 月の力だとか生まれ変わりだとか、そんな御伽噺を信じるつもりはなかった。ただ、今、目の前にいるカグヤに本能的な恐怖を感じる。恋をしているからだなんて言われても納得できそうになかった。雅臣の忠告通り、危険だ。
「事が済んだらお呼び下さい、東宮殿下。」
 宇野はにこりと笑みを見せて扉の陰に隠れる。昨晩の雅臣と同じ肩書きで呼ばれたことに驚いてアズマが動きを止めると、宇野はアズマの問いに答えることなくパタリと扉を閉めた。
「ちょっと待て!」
 我に返ったアズマが慌てて宇野を追い掛けようとするも、真っ直ぐ近付いてきたカグヤがアズマの両肩に手を置いて行く手を阻む。振り払って逃げることは簡単なはずだが、それをさせまいとする妙に重い空気が漂っていた。アズマは無言のままに後ずさる。
「どうしたの? せっかくなんだから、ゆっくり話さない?」
 カグヤは微笑を崩すことなく、アズマに向かって歩を進めた。美術室での状況に似ている。逃げ出したくても、何か得体の知れないものがアズマに纏わり付いてアズマを取り囲んで迫ってくる。アズマはずるずると後ずさり、何かに踵をぶつけてそれ以上下がれないと悟ると同時に、後ろへバランスを崩した。倒れた身体がベッドに弾む。
「怖がらなくて良いのよ。これは全部、運命なんだから。」
 ベッドに腰掛けたカグヤがアズマへ身体を寄せてくる。アズマはそれでもなお、背後へ伸ばした手でシーツを掴み、身体を壁際へ寄せた。それが余計に逃げ場のないところへ自分を追い詰める行為だと知りながらも、他にどうすればいいのか分からない。恐怖は正面から迫ってきた。
「私はあなたとの契りを果たす。もうこれ以上待っている時間はないの。父上のためにも、私は月の力を手に入れなくてはならない。それが私の役割だから……。」
 カグヤがアズマの胸に体重を掛け、アズマはベッドに倒れ込む。
「父上……?」
「現世での名は宇野貴大。」
 カグヤの口から出た名前にアズマは息を呑んだ。昨晩、雅臣が話していた通りだ。宇野がアズマを家へ招待したのも、全て計画されていたことなのだろう。月の力と言われるものが一体何なのか、自分の前世が本当に東宮だったのか、御伽噺めいた話をそのまま信じることはできなかったけれど、それでも、目の前にいるカグヤが自分に害悪をもたらす存在であることは疑いようがなかった。カグヤの話を聞くまでもなく、禍々しい空気が全てを教えている。
「父上は平安京で右大臣を務めた一流貴族だった。でも、あなたのせいで一族は没落した。そう、あなたのせいよ。私はあなたのせいで全てを失ったの……。」
 カグヤはアズマの身体を押さえ込み、力強くアズマの胸元を掴んだ。僅かに首が絞まり、アズマは息苦しさを感じながら声を絞り出す。
「お前はかぐや姫の生まれ変わりで、俺はそのかぐや姫と愛し合った唯一の人間じゃなかったのか?」
 アズマの問い掛けに、カグヤは甲高い声を上げて笑った。
「そうだったわね。私はかぐや姫の生まれ変わり。そう言えばあなたは簡単に私に身を任せると思っていたのだけど、あなたは一向に目覚めない。どうせ力ずくで奪うなら、もはや嘘は無意味。全て教えてあげるわ。私がどんなにあなたを恨んでいるか……。」
 カグヤは強くアズマの胸元を掴み、アズマは声を上げることもできず、意識が遠のく。
「我が名は朔姫。右大臣が娘。」
 闇に落ちた意識にカグヤの声が冷たく響き、アズマは夢と現の狭間で再び長い御伽噺を聞いた。

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