ここち

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苺大福と国会議事堂、そして初恋。

※この物語はフィクションです。実在の人物、団体及び建物等とは一切関係ございません。

 ――ここは丸の内だったろうか。そして、これがあの新丸ビルというやつだったろうか。
 否、ここは永田町。そして彼女が玄関ホールから天井を見上げているこの建物は、今月から供用が開始されたばかりの新議員会館である。
 普通のマンションなら三階分くらいはありそうな高い天井にガラス張りの壁、最新のセキュリティゲートもあるようで、この不景気の最中、よくもまあこんな贅沢な建物が建てられたものだと思うのだが、偉大な先生方がお使いになる建物なのだから、そりゃあ、予算も奮発されるというものだろう。何しろ、予算を承認するのは国会の役目、国会議員の役目なのだから。
 既に税金の無駄遣いだという批判も出ているようだが、旧議員会館の汚れっぷりはひどかったから、豪華な事務室に見合う仕事をその部屋の主らがしてくれるというなら文句はない。
 この建物内の各室の主――になる予定の皆様――は今頃、全国各地で選挙運動中だ。
 彼女は国民代表たる先生方よりも先に、この立派な新議員会館を見学する光栄に預かったわけだが、決して特別な肩書きがあるわけではない。彼女はただこの議員会館内にある売店に納品にやって来た製菓メーカーの社員である。
 長田真知子、二十七歳。下町の小さな製菓メーカー「有限会社ナガタ製菓」の社長・長田万寿郎の一人娘だ。
 製菓メーカーと言っても、メイジやモリナガとは規模が違う。ナガタ製菓の主力商品は国会土産。時の首相の似顔絵の焼き印が入った「首相饅頭」を筆頭に、議事堂の形をした「国会ビスケット」といったラインナップだ。最近は首相の人気と共に売り上げも下落傾向で、経営状態は苦しい。正確に言えば、いつ潰れてもおかしくない危機的状況である。
 ころころと首相が変わるものだから、この一、二年で首相饅頭の焼き印用の型を何度も作り直すことになった。ほとんど使わずにお蔵入りになったものもあったのではなかったか。全く、こんなところで迷惑を被っている国民がいるなんて、ご立派な先生方は微塵も考えちゃいないのだろうけど。
 ――全く、ねえ。
 真知子は肩を落とし、ため息を吐く。

「日本に明るい未来を、若い力を。トキメキ青春党の田中太郎をよろしくお願い致します。」
 真知子が甲高い声に振り返ると、ウグイス嬢を乗せた選挙カーが通り過ぎるのがガラス越しに見えた。
 ぼんやりしている場合ではない。早く商品を届けなくては。
 真知子は受付へ寄り、通行証を貰うと出来るだけ通路の端を通って売店へ向かった。この無駄にオシャレな建物には、段ボール箱を乗せた台車をゴロゴロと押しながら通行することが憚られるような雰囲気がある。受付のお姉さんも旧議員会館の頃よりちょっと垢抜けた感じがするし。
 旧議員会館に比べてだいぶ広くなったと思われる館内で、真知子は危うく道に迷いそうになりながらも何とか目的の売店に辿り着いた。そして思う。
 ――何か、違う。
 視線の先には売店の一角を占める国会土産コーナーがあった。真知子が運んで来た段ボール箱の中身――首相饅頭二十箱と国会ビスケット十五箱――もここに陳列される予定である。
 しかし、真知子はそのコーナーを見た瞬間、どうにもならない違和感を抱いてしまった。それも当然と言えば当然なのだ。全てがピカピカに新しくなった新議員会館では、売店の内装も旧議員会館の頃とは比べ物にならないくらい洗練されたものになっている。にもかかわらず、だ。国会土産コーナーに陳列された商品は旧議員会館の売店に並んでいたものと基本的には変わらない。議事堂を模した地味な最中はまだ良いとして、有名政治家をちゃかした面白くない駄洒落を商品名に冠したクッキーに、強面の閣僚をイメージしたという瓦煎餅。話のネタとしては面白いのかもしれないが、オシャレではない。
 真知子自身も決してオシャレに敏感な方というわけではなかったが、周囲のオシャレな空気と比べてしまうと、その一角のダサさは明白だった。
 思わず、自分が持参した段ボール箱を見る。自社製品とは言え、どうひいき目に見ても「オシャレ」ではない。国会土産にオシャレさを求めたところで、ここは丸の内ではない、オシャレなOLがランチに集まるわけでもない。オシャレな商品が売れるという保証もない。
 ただ、真知子は思ってしまった。これは違う、と。
 真知子は手際よく納品を終えると、会館内に新しくできたオシャレな喫茶店でコーヒーを飲み、オシャレな新商品について考え始めた。選挙期間中の先生方が議員会館内の喫茶店でのんびりコーヒーを飲むはずもなく、部外者が易々と入って来られる場所でもなく、喫茶店は空いている。
 オシャレな商品のアイディアはオシャレな場所で考えた方が良い。
 これは別に長田家の家訓でも何でもないのだが、何となくそんな気がして、真知子は呼び込みの店員の声に乗って喫茶店に入ってしまった。オシャレな喫茶店がオシャレな商品のアイディアを考えるのに適した場所か否かはともかくとして、真っ直ぐ帰って旧議員会館以上に古くて小さい町工場の事務室で頭を悩ますよりは良いだろう。最近、頑固さに磨きがかかって来た頭の古い父に相談するなどという選択肢はもとよりない。父の万寿郎は社長と言うよりも職人か技術者といった風情で、ナガタ製菓の経営は既にほとんど真知子に任されているのだ。
「マチちゃん?」
 真知子がテーブルに頬杖を突きつつ、コーヒーを片手に真新しい壁を睨みつけていると、不意に横から声が掛かった。振り向くと、背広姿の若い男が真知子の顔を覗き込んでいる。胸のバッジですぐに彼が議員の秘書だと分かった。真知子は小学生の頃から父に付いて国会に出入りしていたから、記章の種類で相手の肩書きを見分ける能力は衛視並みに鍛えられたと自負している。
「マチちゃんでしょう? あさひ小学校6年3組、長田真知子ちゃん。俺だよ、俺、覚えてる?」
 議員秘書の彼は親しげに真知子に話し掛けて来た。母校の名前を聞き、彼が当時のクラスメートだったらしいことは推察できたが、あいにく、さっぱり思い出せない。そもそも、「俺だよ、俺」なんて、今時、振り込め詐欺犯だって使わないのではないだろうか。
「どちら様ですか?」
 思索の邪魔をされたことに加え、このいかにも馴れ馴れしい態度が気に喰わなくて、真知子は無表情のまま返した。
「田辺、田辺健司。覚えてない? 同じクラスだったじゃん。」
「……あー……いたかも。」
 田辺健司という名前に聞き覚えはあった。ただ、目の前の顔と当時のクラスメートの顔とが一致しない。
「ひっどいなー。俺、今、ものすごくショックなんだけど。」
 田辺は苦笑しながら、真知子の向かいに腰を下ろした。
「すみません。」
 一応、謝っておいた方が良いのだろう。
「変わんないね、その飄々としたとこ。」
 田辺はにこりと笑った。何だかむず痒い。こちらは田辺の小学生時代をさっぱり思い出せないのに、田辺の方は自分の小学生時代をしっかりと記憶しているのだ。他人に秘密を知られたような気分になる。
「俺、今、佐藤総一郎議員の秘書やってるんだ。」
「……ああ、そうですか。」
 さすがに失礼な返事だったろうか。男の自慢話に興味はないし、下手に政治論を吹っ掛けられても迷惑だ。この時期、選挙運動に協力してくれなんて言われても困る。
 田辺は困ったように笑みを浮かべて、それから頭を掻いた。
 ――あ。
 田辺の仕草で思い出した。そう、田辺健司だ。教室の隅で小難しそうな本を読んでいた地味で大人しい眼鏡の少年。目の前の田辺は眼鏡を掛けていないだが、コンタクトにでもしたのだろう。
 真知子は何度か田辺少年に「何読んでるの?」と話し掛けたことがあった。その度に彼は照れくさそうにはにかんで、難しそうな本の内容を丁寧に説明してくれた。その説明を聞いても真知子にはさっぱりどんな話か分からなかったのだけれど、今にして思えばたぶんあれは政治に関する本だったのではないか。
 ――あの田辺くんが議員秘書か。
 意外ではない。小学校時代の大人しい印象に比べるとだいぶ性格が明るくなったようだが、当時から彼は勉強がよく出来た。いずれは彼自身も政治家になるのかもしれない。議員秘書から政治家に転向する例は少なくなく、議員秘書は政治家になるための弟子入り修行のようなものだ。
 もし彼が選挙に立候補したら……一票くらい入れてあげても良いかな、と思う。
 ぼんやり田辺を見つめていたら、彼が不意にこちらを向き、視線が合った。真知子は慌てて視線を外し、口を開く。
「選挙、いいの?」
「うちのオヤジは今回、非改選だからね。っても、応援であちこち飛び回ってるけど。今日は事務所の引っ越し作業で、俺だけ、ね。」
 田辺はオヤジと呼んだのは佐藤議員のことだろうが、田辺と佐藤議員の間に血縁関係はないはずだ。田辺の父は彼が小学校に入る前に他界しており、田辺少年の家は母子家庭だった。田辺の母は美人だったが、佐藤議員には別に妻がいたはずだし、一人娘を溺愛する愛妻家だという週刊誌の記事を見たような記憶もある。
「マチちゃんは?」
「納品。うち、製菓メーカーで国会土産のお饅頭とか作ってるから。」
「首相饅頭だろ? うちのオヤジのお気に入りなんだよ、あれ。俺も好きだし。」
「ああ、佐藤議員は総理とも仲が良いんだったね。」
「まあ、野党の議員だったら嫌がるだろうな、対立政党の党首の似顔絵が入った饅頭なんて。でも、オヤジも俺も、首相饅頭は味が良いって押してるんだぜ。黒糖を使った薄皮が気に入っててさ。」
「……ありがとう。」
 これも選挙運動の一環なのかもしれないが、自社商品を褒められて悪い気はしない。そもそもこれまで、こんな風に面と向かって商品を褒められることがあっただろうか。
 ――でも……。
「ダメなんだよね、今のままじゃ。」
 思わず口に出していた。
「ダメって、何が?」
 田辺が心配そうな顔で真知子の顔を覗き込んでいる。適当に誤摩化すことも出来るが、別に隠す程のことでもない。一度口に出してしまった以上、話し切ってしまった方がすっきりするし、自社製品の愛好者である田辺なら何か良いアイディアをくれるかもしれない。
「最近、ちょっと売り上げが悪いんだ。議員会館も新しくなったし、何かちょっとオシャレな新商品を出そうかなって考えてるとこなの。」
 真知子は思い切って口を開いた。
「オシャレな新商品? 国会土産で?」
「うん。」
「なら、佐藤総一郎饅頭とか、どう?」
 田辺が笑いながら言った。
「上手いね。でも却下。佐藤議員じゃ全然オシャレ感ないし。」
 参議院議員の佐藤総一郎は御年六十歳。当選四回のベテラン議員ではあるが、薄毛にメタボの典型的な「オヤジ」なのである。
「確かに。でも、うちのオヤジ、結構若い子にも人気あるんだぜ。『総ちゃん』とか呼ばれてさ。」
 確かに、佐藤議員はテレビ番組への出演も多く、それなりに知名度はある。若干間の抜けたところもあるが、愛嬌もあり、真知子も嫌いではなかった。
「マチちゃんとこなら、ライセンス料、安くしとくよ。」
 田辺が笑う。
「お金取るの? 冗談でしょう。山ほど歳費貰ってるくせに。」
 ナガタ製菓の現在の主力商品である首相饅頭もライセンス料は払っていない。首相の側も有名税だと思ってくれているようで、首相が変わる度に新デザインの首相饅頭を官邸に贈っているが、今のところ苦情が届いたり、ライセンス料の支払いを求められたりしたことは一度もない。
「政治家っていうのも金が掛かる商売だからな。」
 それは事実に違いないのだろうが、あまり聞きたくない言葉だ。特に田辺の口からは、かつての田辺少年の口からは聞きたくない。
「っても、別に汚い金じゃないぜ。有名になると色々お付き合いもあるし、マチちゃんみたいに政治家は金持ちだと思ってる人間も多いから、ちょっと飯喰うだけでも高く付くんだ。ポスター代やビラ代だって馬鹿にならないんだぜ。」
 田辺は慌てて言った。
「ふーん……大変だね。」
「信じてないだろ? まあ、政治とカネが最近のトピックだからな。でも、俺とオヤジはちゃんと政治やってるよ。世間に恥ずかしいことは何もしてない。神に誓うよ。」
「別にそこまで言わなくても。」
「そこまで言うよ!」
 田辺はテーブルを叩くようにして身を乗り出した。
「俺、マチちゃんには疑われたくないんだ。俺は本気でこの国を良くしたいって思ってる。だから……。」
 真っ直ぐ見つめる田辺の瞳は漆黒の闇、思わず吸い込まれそうになる。
「わ、分かった。分かったから。」
 真知子は俯きながら前のめりの田辺の身体を押し返した。
「ごめん、つい熱くなった。って……やば、そろそろ行かないと新幹線、乗り遅れる。」
 田辺は腕時計を確認するなり、立ち上がる。
「今日は会えて良かったよ。」
 田辺が言った。
「私も……良かった。」
 真知子が返すと、田辺がぐっと顔を近づけて来た。
「本当に? 俺のこと、覚えてないのに?」
「ちゃんと思い出したよ、話してる間に。」
「へー、それは嬉しいな。」
「信じてないでしょ?」
「信じるよ。俺、自分に都合のいい占いだけは信じる主義だから。」
「何それ?」
「選挙が終わったらまた会おうぜ。うちの事務所、1008号室だから。」
 そう言って、田辺は飲み掛けのコーヒーを手に喫茶店を出て行く。
「あ、そうだ。」
 喫茶店の出入り口で、田辺が振り返った。
「新商品さ、苺大福とかどう?」
「苺大福?」
「可愛らしくってオシャレでしょ。マチちゃんのイメージにぴったりだと思うな。」
 そう言って、田辺は駆け出して行く。
 ――苺大福。
 それは、真知子がたった一度だけ訪ねたことのある田辺少年の家でおやつに出されたお菓子だった。おやつと言えば、製造過程で生じた形の崩れた首相の似顔絵入り――と言っても不良品ゆえ似顔絵は判別不能な状態であることが多かった――饅頭と決まっていた真知子にとって、苺大福は極めて感動的なお菓子だった。しかもその苺大福にはあんこではなくホイップクリームが入っていたのだ。
 これが田辺少年の好物だと解説してくれた美人でオシャレな彼の母は今も健在だろうか。
 次に会った時に聞いてみようと思う。その時には、きっと国会土産の新定番・苺大福のサンプルも持って行けるに違いない。
 商品名は……そうねえ、『未来の首相も大好物! 日の丸苺大福』なんてどうかしら。

《了》


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