ここち

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くりすますのおと


 商店街にジングルベルが流れている。
 待ちに待ったクリスマスまであと一週間。思わずスキップしたくなる季節だけれど、大きな悩みを抱えた今の私はそんな気分じゃない。
 私、楠木実花、小学四年生。現在、赤いランドセルを背負って下校中。
 このランドセル、本当はピンク色が良いと思ってたんだけど、母が「ピンクなんて子供っぽいわよ。どうせすぐに飽きちゃうんだから、無難な色にしておきなさい。」って言って、赤になっちゃった。それなのに、実際に小学校に入学したら、クラスの女の子はみんなパステルカラーの可愛いランドセルを背負ってた! 私の真っ赤なランドセルは完全に浮いていて、私はせめてリボンや星のシールでランドセルを可愛く飾ろうとしたけど、これも、母に「本革なんだからシールなんか貼っちゃダメ。」って剥がされちゃった。せっかくとっておきだった『マーメイド・リボン』の特大キラキラステッカーを貼ったのに!
 でも、確かにピンクにしていたらすぐに飽きていたとは思う。だって、今の私が一番好きな色は、紗絵ちゃんのランドセルみたいな上品なエメラルドグリーンなんだもん。
 ――けれど、私の今の悩みはこのランドセルじゃない。私は今、謙虚に過去の経験から学び、より良い未来を掴み取るべく悩んでいるのだ。
 何についてかって? それはもちろん、この時期に良い子の小学生がやらなくてはならない重大なミッションについて――即ち、サンタクロースに手紙を書くことについて!
 そう、私は今、サンタクロースにクリスマスプレゼントとして何を頼むかについて大変真剣に悩んでいる。
 先ほど大通りの交差点で別れた友紀ちゃんは、『ミラクル天使うららちゃん』のエンジェルメイクセットを頼んだって言ってた。これは悪くない選択だと私も思う。うららちゃんのエンジェルメイクには悪魔の穢れた魔法をはね返す力があって、特にキラキラと輝くピンク色のエンジェルージュは、付けるといつも元気な笑顔でいられる天使魔法が掛かった優れものだ。私もすごく欲しい。
(でも、私がエンジェルメイクセットを頼んだら、友紀ちゃんに真似したって言われるかなぁ? やっぱり、うららちゃんをサポートする猫天使ピンキーのぬいぐるみ(ドレスアップ・バージョン)の方がいいかなぁ。)
 欲しいものは色々あるけど、せっかくのクリスマス。一晩で世界を一周するスーパー老人サンタクロース様にお願いするからには、誕生日に両親に頼むのと同じような無難なプレゼントとは違う、何かスペシャルなものが欲しい。普通におもちゃ屋さんで売ってるようなのじゃなくて。
 商店街を抜けた私は腕を組み、うーんと唸りながら、白鷺川に架かった錆色の夢見橋に差し掛かった。そこでふと、BGMがジングルベルではなくなっていることに気が付く。ジングルベルを流していたのは商店街のスピーカーだから、商店街を通り過ぎたらジングルベルが聞こえなくなるのは当然だ。私がハッとしたのは、風に紛れて響くとても優雅な音色に気付いたからだった。
 私はキョロキョロと辺りを見回して音の発生源を探したものの、小さな橋の上にそれらしきものは見当たらない。音は川上の方から流れているようで、私は橋の欄干に手を掛けて川沿いの緑道を探った。
 そして、見つけた。裸の大銀杏の脇で、銀色の横笛を奏でる男の子を。
 途端に、私は身動きが取れなくなった。川の流れのように緩やかな音色は一帯のあらゆるものを包み込み、私は、曲に合わせて優雅に肩を揺らしている彼から目を離すことができなくなった。
 それからしばらく、私は柔らかな調べを聴きながらぼんやりと彼を見つめていた。
 曲が終わると同時に我に返り、私は橋のたもとの階段を駆け下りた。そして、大銀杏の下のベンチに腰掛けて黒いケースに銀色の笛をしまっていた男の子に声を掛ける。
「あっ、あの……!」
 声を掛けてはみたものの、私は一体何のために彼に声を掛けたのだろう。
 彼とは初対面である上、灰色のブレザーに紺のネクタイを締めた彼は明らかに中学生――もしかすると高校生かもしれず、小学生の私が気軽に話し掛けるには勇気が要った。
「あっ、あの……えっと……。」
 自分から声を掛けておきながら、私は何を話せばいいのか分からなくて、視線を足元に落とした。後先考えずに行動した自分の間抜けさを呪いたい。頬が熱くなり、私の顔は、ランドセルと同じくらい真っ赤になっているに違いない。
「僕に何か用かな?」
 穏やかな声に顔を上げると、彼が柔らかな微笑みを浮かべて私を見つめていた。一瞬呼吸が止まったものの、すぐに肩の力は抜けた。彼の笑顔が私の無鉄砲を許してくれたような気がして、安心した私は何とか言葉を紡ぐ。
「あの、その……笛の音が……。」
「あっ、ごめん、もしかしてうるさかった?」
 彼が申し訳なさそうに言い、私は慌てて首を振った。
「うるさくなんかないです! すごく素敵な音色だったから!」
 私が叫ぶと、彼は一瞬、気圧されたように固まり、少しの間を置いて、ふわりと笑った。
「……ありがとう。」
 その笑顔はとてもとても優しくて、毎日教室で暴れているアホ男子たちとは大違いだった。比較するのも失礼というものだが。
「フルートは好き?」
「フルー……ト?」
 彼の問いに聞き返した私は、「果物なら大好きですが」と続け掛けて、やめた。たぶん、そういう意味ではないと気付いたから。
「この楽器、フルートって言うんだ。」
 銀色の笛を手にした彼の解説に、私は余計な一言を付け足さなかった賢明な自分を心の中で盛大に褒めた。
「すごく綺麗な音色の楽器ですね。」
 私が緊張しながら告げると、彼は照れ臭そうに微笑み、「僕の演奏はまだ大したことないけど、プロのフルート奏者はもっと綺麗な音を出すよ。」と言った。
「そんな……私、お兄さんの演奏も十分綺麗だったと思います!」
 私が力を込めて断言すると、彼はくすくすと笑った。
「……ありがとう。そう言えば、まだ名乗ってなかったね。僕は浅桐英太。君は?」
「楠木実花です!」
 私はピシッと気を付けの姿勢を取って答えた。制服姿の――年上の彼の前では、礼儀正しくすべきだろうと思ったからだ。
「そんなに畏まらなくていいよ。実花ちゃんって呼んでもいいかな?」
 彼に問われ、私はこくりと頷いた。
「それじゃあ実花ちゃん、もし時間があるなら、僕のフルート、少し触ってみる?」
 彼はベンチに腰を下ろし、脇に置いていた黒いケースを膝に載せると私に尋ねた。
「い、良いんですか?」
「もちろん。」
 笑顔でそう言われ、断る理由はない。私は彼の隣に腰掛け、彼に差し出された銀色の笛――フルートを恐々と手に取った。
「……綺麗……。」
 私はうっとりとフルートを見つめながら呟く。丸いボタンがたくさん付いたそれは、未来の精密機械のようでもあり、また、艶やかに煌めく宝石のようでもあった。
「右手は手前から、左手は向こう側から持つんだ。丸いキィにそれぞれ指先を置いて。」
 彼の手が私の手に重なり、私は驚いて危うくフルートを取り落としそうになったけれど、何とか持ちこたえる。この綺麗な銀色の輝きに傷でも付けたら大変だ。
「この穴の手前に下唇を当てて『トゥー』って言うつもりで吹いてみて。」
「吹いても良いの?」
 私は驚いて聞き返した。「少し触ってみる」は、文字通り触るだけだと思っていたのに。
「どうぞ。」
 彼がそう言うので、私は彼に言われたとおり、フルートの端に空いた穴にトゥーと息を吹き込んだ。
 ――スー……。
 冷たい風の吹く音がした。
「あ、あれ……?」
「もう少し唇の位置を下げて、穴の向こう側の淵に息を当てるつもりで。」
 彼の指導に従って、私は唇を当てる位置を調整し、再び息を吐いた。
 ――トゥー……。
 今度は確かに笛の音が聞こえた。
「やった……!」
 私が思わず喜びの声を上げると、隣で彼も微笑んでくれた。
「このキィの押さえ方で音が変わるんだ。これでもう一度吹いてみて。」
 彼は私の右手人差し指を掴み、丸いボタンから引き剥がした。私はそのまま穴の淵に向かってもう一度息を吹き込む。
 ――トゥー……。
 先ほどよりも少し高い音が出た。
「おおっ……!」
「完璧。」
 彼がにこりと微笑む。
 私はアホではないので、自分の演奏――と呼ぶことさえおこがましい音――が「完璧」には程遠いということは分かっていた。先ほど彼が奏でた澄んだ音色を私は忘れていない。それでも、私は彼に褒められたことが嬉しかったし、彼が私の拙い演奏を優しく見守ってくれる人であることは尚更嬉しかった。
 それから私はしばらく彼の指導を受け、ドレミファソラシドの音を全て出すことに成功した。もちろん、滑らかに演奏することなんてできない。一応、その音らしい音を一度は出せたというだけだ。
 気が付けば太陽は西に傾いて、川面が赤く照らされていた。私は、ふと脳裏に浮かんだ角の生えた母の顔を一旦脇に置き、思い切って切り出した。
「あの、浅桐さんっ。」
「英太でいいよ。」
 間髪入れずに彼が告げた。
「え、英太さん……?」
「さん付けもちょっと硬いなぁ。」
 動揺しながら言い直した私の隣で、彼は空を仰ぎながら呟く。
「ではあの……英太君。」
「うん。なぁに、実花ちゃん?」
 彼はいたずらっぽい笑みを浮かべて私に向き直った。
「私、もう一度、英太君の演奏が聴きたいので最後に一曲演奏してくださいっ!」
 私は手にしていたフルートを彼――英太君に差し出しながら頭を下げた。
「……喜んで。」
 少しの間を置いて、英太君は私が差し出したフルートを受け取り、微笑んだ。
 そして、英太君は胸ポケットから取り出したハンカチでフルートの歌口を軽く拭うと、ベンチから腰を上げ、フルートを構えた。
 私のぎこちない構え方とは全く違う。英太君の顔からは今さっきまでのいたずらっぽい笑みも消え、凛とした空気が辺りを支配した。世界は再び、英太君の奏でる柔らかな音色に包まれた。周囲の景色が溶けるように消えて、私は英太君と英太君の奏でる音色だけを感じていた。
 澄んだ音色はとても綺麗で優しくて……少しだけ、せつなく聴こえた。
 演奏を終えた英太君に拍手を送り、私はお礼とお別れの挨拶を述べて家へ走った。
 そして、母に叱られながらリビングのクリスマスツリーを見た時、私は自分が今日一日、サンタクロースにどんなプレゼントを頼むかについて悩んでいたことを思い出した。でも、もう頼むものは決まっていた。
 ――絶対に絶対に、フルートが欲しい!

 そしてクリスマスの朝、私は枕元に細長い包みを見つけた。
「やった!」
 私は歓喜してその包みを手に取り、赤いリボンを解き、緑色の地にクリスマスらしい飾りが散りばめられた包装紙を丁寧に開いた。
 出てきたのは、茶色の革製の――たぶん本革ではなく合皮の袋。袋の中央に真っ直ぐファスナーが走っていた。一見、大きなペンケースのようで、英太君が持っていたような四角い黒のケースではない。しかし、そんなことは包みを開く前から分かっていた。枕元で見つけた包みは、英太君が持っていたケースよりもずっと小さかったから。
 問題は、この袋の中身なのだ。私は別に黒いケースが欲しかったわけではない。
 私はそっとファスナーを開き、首を傾げた。
 出てきたのは、三つに分かれた焦げ茶色と一部白色の細い筒だった。複数の丸い穴が並んだ特徴的な筒の形には、見覚えがある。これは、音楽の授業でも使う縦笛――リコーダーだ。
 三つの筒を繋いでみると、やはりそれはリコーダーで、元々私が持っているリコーダーよりも一回り大きいような気はするものの、銀色のフルートではあり得ない。
「なんてこと……!」
 私はリコーダーを掴み、パジャマのまま呆然として座り込んでいた。
 間もなくして、母が私を起こしに部屋に入って来た。
「サンタさんにプレゼント貰えた?」
 母はにこにこしながら私に声を掛けたけれど、私は絶望的な表情で母を見上げ、サンタクロースから貰った間違ったプレゼントを正しいプレゼントと交換する方法を尋ねた。
 しかし、母は私に納得のいく答えをくれず、私はリビングに走って行って父にも同様の質問をした。そしてその結果分かったことは、サンタクロースはプレゼントを間違えて持って来たのではなく、あえて、フルートよりも私に相応しい――とサンタクロースが勝手に考えた――リコーダーを持って来たのかもしれないということと、一度貰ったプレゼントは交換できない――少なくとも交換の方法を私よりもサンタクロースの生態に詳しい両親が知らない――ということだった。
 サンタクロースというのは、全く融通の利かない非常に理不尽なおじいさんらしい。
 こんなことなら、私は最初からピンキーのぬいぐるみを頼んでおくべきだった。私は銀色に輝くフルートが欲しかったのであって、プラスチック製のちゃちなリコーダーに興味はない。
 たとえ、このリコーダーが私が音楽の授業で吹いているソプラノリコーダーとは違う種類のアルトリコーダーと呼ばれるもので、ソプラノリコーダーでは演奏できない曲も演奏できる立派なものだとしても。
 正直に言えば、「こんなおもちゃ要らない!」のだ。
 実際に私はそう口にして、リコーダーをリビングのソファに向かって投げ捨てた。足元の床に向かって投げ付けなかったのは冷静な判断の結果だったけれど、普段穏やかな父は声を荒げて私を叱り付けた。私はリビングを飛び出して自分の部屋に駆け戻り、ベッドに飛び乗って頭から布団を被った。
 両親もサンタクロースも、私がどれほどフルートを手に入れることを楽しみにしていたか全く分かっていなかった。
 間もなくして、私が投げ捨てたリコーダーは母の手で私の元に届けられた。母は「五年生になったら音楽の授業でもこのアルトリコーダーを使うようになるから大事にしなさい。」と言ったけれど、その台詞に私は益々落ち込んだ。それならなおのこと、わざわざ貴重な機会を使ってサンタクロースから貰わなくても、私は遠からずそれを手に入れることができたのだ。
 しかし、私はいつまでも布団の中で泣き暮らしていたわけではない。サンタクロースが当てにならないなら、何とか自分でフルートを手に入れようと考えた。
 そして父が仕事に出掛けた後、私も家を出た。父を追いかけたのではない。機嫌を損ねた父が私の計画に協力してくれるとは思えないし、母も頼りにはならない。
 今、私が頼りにできる人は一人だけ。彼ならきっと、私の気持ちを理解してくれるはずだ――。

 夢見橋のたもとの緑道で、私は英太君を待った。でも、今日、英太君がここに来るという保証は何もない。初めて英太君に会ったあの日以来、私は何度かこの場所を訪ねたけれど、英太君には会えなかった。ただ、今日は何となく、彼に会えそうな気がする。
 プレゼントを間違えたサンタクロースが、お詫びとして特別な取り計らいをしてくれたっていいはずだ。
 そして、奇跡は起きた。
「あれ、実花ちゃん?」
 大銀杏の下のベンチに腰掛けた私が退屈に任せて足をぶらぶらと揺らしていると、柔らかな声が私を呼んだ。聞き覚えのあるその声は、紛れもなく、彼――英太君のものだ。
「英太君!」
 私は飛び上がるようにベンチから腰を上げ、立ち上がった。
「久しぶり。あ、今日はメリークリスマスって言った方がいいかな?」
 英太君は、初めて会った時と同じ優しい笑顔で言った。
「め、メリークリスマス……。」
 願いが叶った喜びと、本当に会えてしまったという戸惑いで、私はぎこちなく答える。
「どうしたの? 元気ないね? もしかして、サンタさんからプレゼントを貰えなかったとか?」
 英太君は初めて会った時に持っていたのと同じ黒いケースをベンチに置くと、私の顔を心配そうに覗き込んだ。
「貰ったには貰ったんだけど……。」
 私は気を利かせたつもりで全く気の利いていないサンタクロースのことを思い出し、ため息を吐く。英太君がきょとんとして続きを待っているので、私は一応持って来ていたリコーダーを差し出した。
「プレゼントが、間違ってたんです……。」
「このリコーダーをクリスマスプレゼントに貰ったの?」
 英太君は私の手からリコーダーを受け取って尋ねる。
「私はフルートを頼んだのに、サンタさんが間違えて……。」
「へぇ、素敵なアルトリコーダーだね。」
 英太君は私のリコーダーを眺めながらにこりと微笑んだ。優しい英太君が私を慰めようとしてくれていることは分かったけれど、私はむしろ、英太君には私の悔しい気持ちを理解してほしくて、不満だった。
「でも、私はやっぱりフルートが欲しいから……お小遣いを貯めて自分で買おうって思って。フルートってどこのお店で買える? どれくらいお小遣いを貯めたらいい? 私、英太君と同じフルートが欲しいの!」
 私は英太君に詰め寄り、まくし立てた。英太君は一瞬戸惑いの表情を見せたけれど、私の真剣な訴えを決して馬鹿にすることはなく、にこりと微笑んだ。
(やっぱり、英太君は私の気持ちを分かってくれた……!)
「……同じだよ。」
 私が感激したのも束の間、英太君は微笑を浮かべたまま優しい声音で言った。
「このリコーダーも、フルートなんだ。」
 私は英太君の言っていることが理解できず、パチパチと両目を瞬かせる。
「リコーダーもフルートも、昔はみんなフルートって呼ばれてたんだ。それどころか、昔はフルートって言ったらむしろリコーダーのことで、現在のフルートはわざわざ横向きのフルートって呼んでたんだよ。」
 英太君の語る豆知識に、私は思わず「へぇ。」と零す。
「楽器としての仕組みもリコーダーとフルートはよく似ていて、両方ともエアリードの木管楽器だしね。」
「もっかんがっき……?」
 聞き慣れない言葉に、私は首を傾げた。
「木の管の楽器って書いて木管楽器。息を吹き込んで音を出す管楽器には、木管楽器と金管楽器があって――あ、金管は金属の管のことだけど、トランペットやホルン、いわゆるラッパが金管楽器。」
「え? それならフルートは金属製だから金管楽器じゃないの? このリコーダーなんてプラスチックだよ?」
 英太君の説明に私は混乱した。
「木管楽器か金管楽器かは楽器の材質じゃなくて音が出る仕組みの違いで決まるんだ。確かに一般的には木管楽器は木製のことが多いし、金管楽器は普通金属製だけどね。だから、金属製のフルートも、プラスチック製のリコーダーも、分類は木管楽器。」
 英太君の説明を、私は眉をひそめながら聞いた。
「それって、本当は木製のものを金属やプラスチックで作った偽物ってことじゃ……?」
 私は恐る恐る口にした。改めて見れば、リコーダーの茶色い筒は木製品に見せかけるための配色に違いないと気付いたけれど、そうなると余計に、目の前のリコーダーが安っぽいおもちゃにしか見えなくなる。
「うーん、確かに、木製フルートの音色の方が温もりを感じて好きだって言う演奏家はいるけど、金属製には金属製ならではの音色があるし、僕のこの銀製のフルート、気に入ってるけどなぁ。」
「いや、英太君のフルートはともかく、プラスチックのリコーダーは……。」
 木製が金属製になるのはまだグレードアップ感があるけれど、木製がプラスチック製になるのは明らかにグレードダウンだ。母は以前、百円ショップで派手な色の小物入れを買って来た父に向かって「安っぽいプラスチックなんかやめて。」と怒っていた。
「僕はこのアルトリコーダー、結構いいものだと思うけどな。……ちょっと吹いてもいい?」
 英太君に問われ、私は不満顔のまま頷いた。英太君は優しい。でも、私が求めているのはそういう優しさじゃない。
 ため息を吐いた私の隣で、英太君がリコーダーを構えた。そして、柔らかに溢れ出た笛の音は、一瞬にして世界を包み込んだ――。
 英太君の演奏が終わった後も、私はしばらくぼんやりとしていた。
「いいリコーダーだね。とても温かな音色がする。」
 演奏を終えた英太君は、胸ポケットから取り出したハンカチで歌口を拭いて、私にリコーダーを返してくれた。私は「うん。」と頷いてそれを受け取る。彼に同意しないわけにはいかなかった。だって、英太君がこのリコーダーで奏でた音色は、フルートの音色に劣らずとても綺麗だったから。
 サンタさん、ごめんなさい。リコーダーさん、ごめんなさい。こんなおもちゃ要らないなんて言ってごめんなさい。偽物だなんて言ってごめんなさい。リコーダーは、とっても素敵なプレゼントです!
「私も、英太君みたいに上手に吹けるようになるかなあ。」
 私はリコーダーを見つめながら呟いた。
 英太君が吹いたリコーダーの音色は本当に素敵だったけれど、私が吹いても同じ音色が出せるという保証はない。むしろ、それは完全に不可能だという気さえする。だって、今、英太君が響かせた音色は、私が知っているリコーダーの音色とは全く違い、まるで特別な魔法を掛かけたかのようだったから。
「もちろん。実花ちゃんならきっと上手になるよ。ちゃんと練習すれば、ね。」
 そう言って英太君は私の頭を撫でてくれた。私はぎゅっとリコーダーを握り締め、意を決してベンチから立ち上がる。
「ちゃんと、練習するよ。いっぱいいっぱい練習して、英太君と同じくらい……ううん、英太君よりも上手に吹けるようになる! だから、だからね、私が上手にリコーダーを吹けるようになったら、英太君、聞いてね、私の演奏。」
 私が一気に言い切ると、英太君は少し驚いた表情を見せ、それからにっこりと微笑んだ。
「うん。ぜひ、聞かせて欲しいな、実花ちゃんの演奏。」
 英太君の茶色い瞳が真っ直ぐ私に向けられて、私は反射的に俯き、それから小さく頷いた。心臓がどくんどくんと動いていて、このままだと爆発しそうだ――これは、まずい。
 ――ぐうぅ……!
 突然、私のお腹が鳴いた。そう言えば、私は結局、朝食抜きで家を出て来たのだ。
(今の音、英太君にも聞こえたかな? 聞こえちゃった……よね。)
 私は慌てながら次の言葉を探した。喋っていれば、話し声に紛れてお腹の音も聞こえなくなるんじゃないかと思ったのだけれど、もう手遅れだったかもしれない。
「きっと……きっと聞いてね。私、いっぱい練習するから! それじゃあね!」
 私は早口で言い切ると、くるりと回れ右して一目散に駆け出した。その時、英太君がどんな顔をしていたかは分からない。ただ、背後から掛かった「またね!」の声が優しくて、私は微笑みながら夢見橋を渡った。
 橋を渡り終えたところでやっと歩を緩め、私は乱れた呼吸を整える。間もなく、対岸から緩やかなフルートの音色が響いて来た。私はその音色に合わせてゆっくりとした足取りで家へ向かう。優しい温かな音色は私の心を包み込んで、私を見守るようにずっとずっとついてきてくれた。

 それから一年。
 五年生になって音楽の授業でアルトリコーダーを使うようになり、英太君との約束通りいっぱいいっぱい練習した私は、今やクラスメートからリコーダーマスターと呼ばれるほどの腕前だ。『ミラクル天使うららちゃん☆ハイパー』の最新主題歌だってもう簡単に吹ける。楽譜を読むのはまだ苦手だけど、何度も聴いた曲なら「感じ」で吹けるのだ。
 まだ英太君より上手になったとは思えないけれど、一年前よりはずっとずっと上手になった。だから、そろそろ英太君にも演奏を聴いてもらいたいと思って、私は夢見橋のたもとの緑道へとやって来た。
 ここを訪ねるのは、一年前のクリスマス以来だ。夢見橋は学校の行き帰りに必ず通るし、時々橋から大銀杏を眺めもしたけれど、緑道へは下りて行かなかった。この間、英太君の姿を見かけることもフルートの音色を聞くこともなく、私は何となく、リコーダーがちゃんと吹けるようになるまでは英太君には会えないような気がしていた。
 だから、英太君が着ていた制服が隣町の中学校のものだと分かってからも、私はその中学校を訪ねなかった。もっとも、私が英太君の学校を訪ねなかった最大の理由は、そこが芸能人やお金持ちの子供がたくさん通っていると評判の有名な男子校だったからで、無鉄砲な私もそこへ乗り込むのはさすがに気後れしたのだ。
 今日はクリスマス。今年の私は、サンタクロースに「英太君」をお願いした。
 もちろん、フルートを頼んだ子にリコーダーを持ってくるような気の利くサンタクロースにそんなお願いをしても無駄だということは分かっていた。実際、今朝、私が枕元で見付けたのは、六景島水族館の公式マスコット・オニイトマキエイのエイ太君のぬいぐるみだった。英太君とは似ても似つかない代物だけど、これはこれでブサかわいいからよしということにして、今度はきちんと朝食を済ませた上で、私は家を出た。
 大銀杏の下のベンチに人影はない。
 まあ、そんなものだ。世の中そう何でも都合良くはいかない。もし英太君に会えたら、と思って用意したクリスマスプレゼントは、残念ながら無駄になりそうだ。
 私はベンチに腰を下ろし、リコーダーを構えた。
 いっぱいいっぱい練習した曲。あの日、英太君が私に聴かせてくれた優しい曲。音痴の私がおぼろげなメロディーを口ずさみ、音楽の先生が何とか曲名を探り当ててくれたその曲は、『G線上のアリア』と呼ばれている有名なクラッシック曲だった。

 ――英太君。いつかまた、会えるよね。その時は、きっと聴いてね、私の演奏。

 温かな音色は緩やかに空へと上り、澄んだ青空へと吸い込まれていく。
 とっておきの曲を吹き終えて、私はそっと息を吐いた。

《了》


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