Haunted Halloween
〜ハロウィンの夜にはカボチャがいっぱい〜
(2)
Thanks for the Stay 一夜の礼に
食後、青年が徐に口を開いた。
「お礼と言っても大したことは出来ませんが、甘いものはお好きですか?」
青年はコートのポケットから赤と黒の小さな包みを二つずつテーブルの上に出した。
「おや、キャンディーかい?」
老人がテーブルに置かれた包みを一つ摘み上げて尋ねる。
「まあ、そんなものですが……これは、運命のお菓子ですよ。」
青年は笑った。
「運命のお菓子?」
「ええ。運試しと思ってお一つどうぞ。」
「へえ、くじでも付いているのかい? じゃあ、これを一つ貰おうか。」
老人は最初に手に取った黒い包みを開き、口に運んだ。
「奥様も、どうぞ。」
台所で洗い物をしていた老婆がエプロンで手を拭き拭きやって来て、青年は老婆にも包みを選ぶよう勧めた。
「じゃあ、私もこの人と同じ黒いのを貰おうかしら。」
老婆はにこりと笑って包みを手に取る。青年は微かに口端を上げ、目を細めた。それは笑ったようにも見えたし、憂うようにも見えた。
青年は黙ってテーブルの上に残された二つの赤い包みをポケットに戻した。
Boring Sabbath 退屈な宴
ドロシーは、グラスになみなみと注がれた赤ワインを一気に煽った。
「本当に、なんて退屈な宴なのかしら。」
広場の隅の巨木にもたれながら、ドロシーは呟く。
広場の中央では悪魔たちが円になって踊り、醜い化け物たちがそれぞれ思い思いに年に一度の宴を楽しんでいた。しかし、ドロシーは面白くない。広場の隅から隅まで眺めても、みんな醜い化け物ばかり。腐りかけのミイラは側に寄るだけでも気持ちが悪くなる匂いを放っている。あの匂いの前では、今朝、秘薬を作るために使った毒々しい薬草さえ良い匂いだったと思えるくらいだ。
天性の才能と長年培ってきた魔力のおかげで、実年齢よりも百歳以上若い見た目を維持できるドロシーは例外的な存在で、真夜中の宴に参加する魔性の者は総じて醜い。今夜の参加者の中でいくらかましに思えるのは吸血鬼族のブラッドくらいのものだが、死人のように青白い肌と紫色の唇がドロシーの好みではなかった。それに何より、彼は冗談のセンスが悪い。五分も話せば充分で、血に飢えた吸血鬼に魔力の源を恵んでやるつもりもなかった。
魔女の中にはそんな醜い連中とも仲良くやっていける者はいるようだが、彼女たちとて決して美しくはない。ずば抜けた魔力と類稀なる美貌を持ったドロシーは、そのレベルがあまりにも周囲と違い過ぎた。
「帰ろうかしら。」
ドロシーはグラスをテーブルに置くと、パチンッと指を鳴らして箒を取り出す。
「おや、ドロシー? もう帰るのかい?」
フランクが取れ掛けのネジを頭にねじ込みながら話しかけてきた。
「ええ、今夜はもう疲れたわ。また来年ね。」
ドロシーは素っ気なく返すと箒に跨り、フランクに再び口を開かせることなく呪文を唱えた。
「ホッパラ!」
箒はドロシーを乗せて急上昇する。ドロシーは下を見下ろすこともなく、帰るべき家へ向かって真っ直ぐに箒を飛ばした。
「来年の宴はお断りね。」
ドロシーは脳裏に浮かぶ醜い顔に辟易しながら呟く。醜いだけなら仕方がないが、かつては栄華を極めた魔性の者たちも今ではすっかり落ちぶれて、人間に隠れてこそこそ暮らす者ばかり。懐古趣味に溢れた思い出話と愚痴ばかりで面白い話の一つもできないのだから、わざわざ遠方から足を運ぶ甲斐がない。
尤も、そういうドロシーだって宴に持って行くような面白い話などないのだ。せいぜいが新しく開発した秘薬の話くらいで、魔性の者の地位が低下した今となっては秘薬の出番もほとんどなく、みんなが面白がってくれる話ではない。
ドロシーは退屈だった。
ため息混じりに箒を飛ばしていると、不意に強烈な匂いを感じた。薬草の匂いでも腐ったミイラの匂いでもない。普通の人間であれば感じることのできない匂い。魔力で感じる死の匂いだ。
背筋に悪寒が走った。怖くなったわけではない。魔女は死など恐れない。好奇心が疼いた。これは、退屈を紛らわせることのできる匂いだ。
死の匂いと共に、悪魔でもなければ人間でもない奇妙な力の気配を感じる。
ドロシーは匂いと力に呼ばれ、ゆっくりと高度を下げていった。
To The Heaven お別れ
老人と老婆はベッドに横になり、眠っていた。深い眠りに着いている。永遠に覚めることのない死という名の眠りだ。
青年はベッドの脇に立ち、眠る二人を静かに見下ろしていた。
「スペードは死、クローバーは幸福。僕の手にはハートとダイヤが残された。愛と財産、僕には不要なものばかりだ。」
青年は赤い小さなキャンディーの包みを手のひらに広げてため息混じりに呟く。
青年の足元に黒猫が擦り寄ってきた。
「可哀相に。君は一人ぼっちになってしまうね。」
青年は黒猫を抱き上げる。黒猫はにゃあと甘ったるい声で鳴いた。
「残念なことに、僕は君を連れて行くことはできないんだよ。夜が明ける前に君の引き取り手を見つけなくちゃならない。それとも君は彼らと一緒にいきたいかい?」
黒猫は柔らかな肢体をくねらせて、にゃあと鳴いた。
「そうだね、君にあの世はまだ早すぎる。」
He Meets Her 彼らは出会う
少しずつ高度を下げて行くと、匂いは強くなった。眼下には小さなオレンジ色の灯りが見える。カボチャ畑の真ん中の小さな小屋。不吉な死の匂いには相応しくないのどかな村の一画だ。
そこにドロシーは一人の人間の姿を見つけた。いや、人間ではない。強烈な死の匂いを放つ者、人間では有り得ない。あの宴のメンバーと同じ魔性の者。ただ、その匂いは腐った悪魔たちとは明らかにレベルの違う存在感を放っていた。
高度を下げる程に、その姿がはっきりとドロシーの目に映った。黒いマントを羽織った背の高い青年。
百年以上の人生経験で数多の魑魅魍魎に遭遇したドロシーも初めて見る顔だ。宴の席で見かけたことは一度もない。
ただ、ドロシーには心当たりがあった。その強烈な死の匂いは、ドロシーの記憶の片隅から退屈な宴の最中の辛うじて興味を持てた会話の内容を引き出していた。
「上等じゃない。」
ドロシーはにこりと笑ってふんわり、青年の前に降り立った。
「こんばんは。」
突然空から舞い降りた魔女に、青年は微塵も動じなかった。
「やあ、ちょうどいいところに。」
青年の挨拶に、ドロシーは顔を顰めた。あまり面白くない予感がした。魔女の勘は当たるのだ。
「君、黒猫はいらないか?」
青年はにこりと笑って、抱えていた黒猫をドロシーの目の前に差し出した。
「いらないわ。それより、あなた、何者? ただの人間じゃないわね? 死臭がするもの。」
ドロシーは青年の問いを一蹴し、間髪入れずに青年に問うた。
「僕は……ただの死神だよ。」
青年は笑った。ドロシーの背筋に悪寒が走る。怖いわけではない。魔女は死神など恐れない。
「名前は?」
奇妙な気の焦りを隠すために、ドロシーは続けて質問した。
「ジャックだ。君は? 奇麗な魔女さん。」
「ドロシーよ。」
答えながら、ドロシーは「ジャック」という名前を思い出していた。宴の席で、小さな悪魔どもが喚いていた。死神ジャックに近づくな、と。悪魔を騙し、天国からも地獄からも受け入れを拒否された元人間。退屈な宴の中で唯一興味を持てたおとぎ話だ。そう、人間どもが戯れに作ったおとぎ話を愚かな悪魔までが信じるようになった希有な例――それはそれで笑える話だと思っていた。だが……死神ジャックは実在した。百年以上生きて、まだこの世に自分の知らないことがある。それは非常にドロシーの興味を掻き立てる事実だった。
「あなたが死神ジャック。噂に聞いていたより美男子だわ。」
「光栄だね。君のような美女に褒められるなんて。」
青年――ジャックは微笑みながら抱えた黒猫の頭を撫でている。
「それで? 今日は何人殺したの?」
ドロシーはストレートに聞いた。元々遠慮なんてする性分ではないし、この程度のことで気分を害するような小物ならドロシーは興味がない。
「僕は誰も殺しちゃいない。死は運命さ。運命は人が自ら選び取るもの。僕はその機会を与えるだけで、僕が殺したわけじゃない。」
「面白い話ね。なら、死神に出会っても死を免れる方法があるのね?」
ドロシーは挑発的に問い掛けた。
「もちろん。僕は、死の他に幸福とお金と愛情の三つの運命も用意した。彼らはそれぞれ自分で自分の運命を選んだんだ。」
ジャックは俯いたまま黒猫を撫でている。
ドロシーは隣に建つ小さな小屋を見遣った。窓の向こうで二人の男女が眠っている。それが二人にとって永遠の眠りであることは明らかだった。
「なるほど。夫婦揃って死の運命を選んだのね。」
「いや。」
ドロシーの納得を、ジャックは力強く打ち消した。
「老人は死を選んだけれど、彼の妻は幸福を選んだよ。結果的に、愛情とお金が残った。」
ジャックは黒猫を脇に抱え、ポケットから赤い包みを二つ取り出した。これがそれぞれ愛情とお金の運命を象徴しているのだろう。
「不思議そうな顔をしているね。」
ジャックはドロシーを見つめて笑う。
「どうして幸福を選んだ妻まで死んだのか? 答えは簡単だ。妻にとって、長年連れ添った夫と共にあの世へ行くことの方が長生きするよりも幸福だったってだけのことだよ。」
「つまらない話ね。」
ただ無意味に長生きしたいとはドロシーとて思わない。しかし、誰かと一緒にあの世へ行きたいなどとは尚更思わない、思いたくもない。
「そうかもね。だけど、ひとりぼっちは結構寂しいものだから。」
緑色の瞳に微かな憂いを映しながら、ジャックは再びゆっくりと黒猫を撫で始める。
「君は、ずっと一人なのかい?」
ジャックの問いに、ドロシーは答えなかった。答えてやる義理もない。
「だったらどうかな? 黒猫を一匹、飼ってみるというのは。魔女は烏や黒猫を使い魔として従えることができるんだろう? この子はきっと君の役に立つよ。」
ジャックはそう言って、再びドロシーの目の前に黒猫を差し出した。よく見ると、毛並みの奇麗な美しい黒猫だ。黒猫は状況を分かっているのかいないのか、きょとんとした表情でドロシーを見上げている。可愛い、なんて思わない。
「間抜けな顔ね。一人が寂しいならあなたが連れて行けば良いじゃない。」
ドロシーは腕を組んで黒猫から視線をそらした。
「そうしたいのは山々なんだけどね。残念ながら、僕はこの子を狭間の世界に連れて行くことはできないんだよ。」
「狭間の世界?」
ドロシーは聞き返す。
「噂は知っているんだろう? 悪魔を騙し、天国からも地獄からも追放された哀れな男のことを。死者はいつまでもこの世にいられない。かといって、僕は天国にも地獄にも行けない。だから僕は狭間の世界を渡り歩くんだ。時々開く現世への扉を出入りする他はね。」
ジャックは肩を竦めて笑った。
「なるほど。そこへこの黒猫は連れて行けないってわけね。」
「納得してくれたかい?」
「そうね。まあ、どうしてもって言うなら、その黒猫、引き取ってあげるわ。小間使い程度には使えるかもしれないし。」
「助かるよ。」
「でも、タダでは嫌。」
「お金を取るのかい? 困ったな。今の僕が君にあげられるのは……これくらいしかないんだが。」
ジャックは抱えていた黒猫を一度地面に下ろすと、足下にあったカボチャを拾い上げた。
「何、それ?」
「カボチャちょうちん。暗い夜道を照らすのに便利だよ。」
ドロシーは返答に窮した。三角の穴が空いたカボチャの中では火のついたキャンドルが燃えているが、背の低くなったそれは今にも燃え尽きそうだ。
「悪趣味ね。」
「そうかな? 結構可愛いと思うんだけど。」
「悪趣味よ。」
ドロシーは重ねて言った。ジャックはくすくすと笑っている。
「せめて歌を歌うくらいの芸が欲しいわ。」
言いながら、ドロシーはどす黒い液体の入った小瓶を取り出し、ジャックが手にしているカボチャにその中身を振りかけた。その瞬間、ジャックが手にしていたカボチャはぴょんっと飛び跳ね、一回り大きくなって地面に着地した。
「命を与える媚薬よ。作ったばかりの試作品だけど、ひとりぼっちの退屈しのぎにはなるはずよ。」
ドロシーがそう説明する脇で、カボチャはくるくる回りながら跳ねている。
「僕はジャックさ、カボチャのジャック。死神ジャックの友達さ。」
カボチャは跳ねながら歌った。
「なるほど、いい芸だ。」
ジャックは笑う。
「しかし、これだと僕は黒猫の引き取り料に加えて薬の代金も請求されることになるのかな?」
ジャックはドロシーを見た。
「そうね。かなり高額よ。」
「ひどい押し売りだな。」
ジャックは笑う。
「支払い猶予を認めてあげる。来年のハロウィンにまた会いましょう。魔性の者たちが宴を開くわ。そこへあなたも来て。必ずよ。」
ドロシーはジャックの耳元で囁いた。
「これは呪いかい?」
「あら、察しがいいのね。約束を守らなかったときはどうなるか……想像できて?」
「死ぬ……なんてのは意味がないね。僕はもう死んでいるんだから。」
「そのくらいは織り込み済みよ。もっとひどいことになるわ。」
「そうか。それは楽しみだね。」
「必ず来なさい。来年のハロウィン。楽しみにしてるわ。」
ドロシーは素早く呪文を唱え、浮かんだ箒に腰掛ける。
「待って、この子をちゃんと連れて行ってくれいと。エリザベスだ。」
ジャックは慌てて足下の黒猫を抱き上げると、黒猫は空高く飛び上がろうとするドロシーの胸元に飛びついた。ドロシーはすぐに上昇の呪文を唱え、一人と一匹を乗せた箒はあっという間に雲の上にいた。ドロシーは黒猫を抱えたまま、遥か我が家へ向かって一直線に飛ぶ。頬を擦る空気は冷たいが懐に抱えた黒猫から微かな温もりが伝わってきた。
「エリザベス……猫のくせにたいそうなお名前だこと。」
See you again また会う日まで
「さて、それじゃあ僕らも行くとしようか。」
空の彼方へ消えたドロシーを見送り、ジャックは足下のカボチャに声を掛けた。
そしてジャックはカボチャとともに暗闇の中へ足を踏み出す。
これから再び長い長い旅が始まる。何も存在しない狭間の世界を彷徨う旅が。
だが、今度の少しだけいつもより退屈ではないかもしれない。歌って踊るカボチャはいつまで退屈を紛らわせてくれるだろうか。
「僕はジャック。カボチャのジャック。死神ジャックはどこへ行く? 今夜はどちらへ案内しましょう?」
カボチャは歌う。何もない暗闇を仄かに照らしながら。
小さな闇がジャックを包んで消えた後、東の空が微かに白み始めた。
ハロウィンの夜が明け、万聖節――。
《了》