風紀委員の恋
(3)
「心配やなあ。もし落ちとったらどうしよ? 受かっててもどうしよ?」
活動日誌を捲る要の後ろで、椅子に後ろ向き座りながら、先ほどから裕二がぶつぶつと同じことを繰り返している。
「何の心配だよ? お前、とっくに私大の推薦決まってるだろ?」
いかにも「尋ねてほしい」という様子で独り言を繰り返している裕二に、要は仕方なく声を掛けた。
「俺やなくて俺の彼女の心配しとんのや。今日、発表やねん。彼女のためには受かっとって欲しいけど、彼女の第一志望、北海道やから……めっちゃ遠いやん! 遠距離になってまうやん! 第二志望の私大なら近くやねんけど……彼女は北海道行きたがっとるし……この葛藤、分かるやろ?」
「全く分からないね。」
要は裕二の独り言を無視し続けなかったことをひどく後悔しながら、席を立った。作業が一段落し、紅茶でもいれようかと考えた。安い買い置きのティーバッグがまだ少し残っていたはずだ。
「なんで分からんねん! 自分かて同じやん。晴香ちゃんのためには高嶋と上手くいって欲しいけど、自分としてはとっとと別れたったらええのに……ってな気分やろ?」
要は黙って棚からティーバッグを取り出し、年季の入った電気ポットからカップに湯を注ぐ。
「否定はせえへんのな。あ、俺も紅茶。」
要は図々しいリクエストの主を睨みつけてから、棚からもう一つティーバッグを取り出した。自分の分と同様に湯を注ぎ、カップを裕二に押し付ける。
「告白、せえへんの?」
裕二はティーバッグの紐を手持ち無沙汰に上下させる。
「誰に? 何を?」
要は椅子に腰掛けながら、思わず問い返してしまった。
「晴香ちゃんに、好きやって。」
予想通りの答えが返って来る。
「馬鹿らしい。」
要は一蹴した。今更そんな告白をして何になるのだろう。彼女は高嶋と付き合っているのだ。振られて惨めな思いをするのは目に見えている。
「俺ら、もうすぐ卒業やん。最後に気持ち伝えてすっきりしたった方がええんとちゃう?」
「お前はそんなに俺に恥をかかせたいのか?」
要は裕二を睨みつけた。
「ええやん、ちょっとくらい恥かいたって。どうせ卒業してまうんやし。それより、ちゃんと気持ち伝えることの方が大事なんとちゃう? 自分の気持ちに嘘吐くんはいっちゃん辛いで? なあ、要君?」
裕二の言っていることは正論だ。正論だが、それを受け入れるわけにはいかない。
「そろそろ素直になってもえんちゃうか? いつまでも逃げてばかりやあかんで。」
――逃げる?
「……お前に……お前に何が分かんねん!」
叫ぶと同時に立ち上がって裕二を睨みつけると、裕二は穏やかに微笑んでいた。
「久しぶりに聞いたわ、要君の大阪弁。忘れてへんかったんやなあ。」
要は毒気を抜かれ、すとんと椅子に腰を落とした。
故郷の言葉を使うのは何年ぶりだろう。要が父の転勤で大阪のミナミから東京へ引っ越したのは小学五年生の時だった。転入先の小学校で関西弁をからかわれて以来、要は大阪弁を固く封印してきた。
大阪の中でもミナミの言葉はとりわけ「柄が悪い」というイメージが強い。クラスメートどころかその保護者や担任教諭までもが、その話し方だけで「要君は暴力的」と決めつけた。だから必至で標準語を覚えて、礼儀正しく、いつも真面目に、模範生とになるよう努めてきた。中学でも、高校に入ってからも、未だにそれは変わらない。要にとって、それは生き残るための手段であったし、もはやアイデンティティになっていた。
ルールは絶対、それに従う限り、安全が保障される。要にとって大阪弁はルールの外にあるものだった。
だから、大阪にいた頃の親友である裕二と高校で再会したことは、要にとって一つの危機だった。裕二とは家が隣同士の幼馴染みで、要が東京へ越した後も数回手紙を送り合ったのだが、それもいつの間にか途絶えてしまい、三年前に裕二の父も東京へ転勤になったということも高校で偶然に再会して初めて知った。
裕二との再会が懐かしくなかったわけではない。ただ、大阪弁を躊躇いなく使う裕二の存在は、決別したはずの過去そのものでもあった。
「言わずに後悔するより、言って後悔する方がええって誰かが言っとったで。ほな、ご馳走さん。」
裕二はそう言って立ち上がり、空になったカップを机に残して委員会室を出て行く。
「《言わずに》やのうて《やらずに》や、阿呆。」
要は温くなったカップを包むように両手で持ちながら、閉められた扉に向かって静かに突っ込みを入れた。