ここち

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風紀委員の恋


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(4)

 卒業式は晴天だった。
 桜の季節にはまだ早いが、旅立ちに相応しい気持ちの好い日だ。
 一昨日、第一志望の国立大の合格発表があり、第一志望への進学が決まった要も晴れ晴れとした気持ちで卒業式を迎えた。四月からは京都で独り暮らしをする予定だ。
「かーなーめー君!」
 校門脇で要がぼんやりと薄雲の走る空を見上げていると、突然後ろから抱きつかれた。
「竹下!?」
「ほんま今日で卒業やねんなあ。俺と会えなくなるんは寂しいやろ? 要君?」
 裕二は要の背後から横に回り、要の顔を覗き込んでくる。
「全然。……てか、お前、名前で呼ぶのやめろ。」
「何で? 前はずうっと名前で呼んどったやん。俺のことも《裕二》って呼んでええよ。」
「あっち行け、気持ち悪い。」
 要は左手で裕二を追い払うようにジェスチャーしてから、踵を返した。
「冷たー。せっかく親友が素敵なプレゼント用意したったんに。」
「プレゼント?」
 背後から掛けられた声に思わず振り返り、要は息を呑んだ。
「委員長、ご卒業おめでとうございます。」
 松川晴香は要に向かって頭を下げた。
「……どうして?」
 要が晴香の隣に立つ裕二に視線を向けると、裕二はにこにこと笑っている。
「親友の粋な計らいって奴や。」
 余計なお世話だと返したかった。あの日、委員会室で顔を合わせて以来、要は晴香と極力会わないように、いや、一切会わないように努めてきた。卒業まで完全に回避できるはずだった。
「ここで逃げたら男が廃るで。な、要君。」
 裕二は要の肩を軽く叩くと、さっさとどこかへ行ってしまう。
「ちょ、ちょっと待て……!」
 引き止めようにも、校門付近は友人との別れを惜しむ卒業生やその保護者、先輩を送る在校生やらでごった返している。裕二は器用に人の合間を縫って去って行き、要は後を追うのを諦めた。
「委員長。」
 背後から掛かった声に、振り返らないわけにはいかなかった。
「もう、委員長じゃない。」
 要は振り返って答えた。
「ごめんなさい。」
 晴香が俯きながら漏らした。
「何を謝ってるの?」
「私が高嶋先輩と……。」
「別に僕には関係のないことだから。」
 要は晴香の言葉を遮るように言った。出来る限り落ち着いた口調で言ったつもりだ。要は全て忘れる決心をしていた。所詮は全て過去のこと。進学のため東京を離れれば、晴香と会うことは二度とないだろう。
 晴香に対する気持ちは認めざるを得ない。それでも、伝えることは出来ないと思った。伝えて何が変わるわけでもない。ただの自己満足のために彼女を動揺させることは本意ではなかった。
「確かに、委員長には……中野先輩には関係のないことです。」
 晴香ははっきりと言い切って顔を上げる。晴香は射るように要を見据え、要は堪らず視線を反らした。
「でも、先輩には認めてほしかった。分かってほしかった……です。」
 そう言って、晴香は再び視線を下げる。
 ――分かっている。彼女が高嶋のことを好きだと言うことも、高嶋がそれほど悪い奴ではないということも。認めたくなかったのは二人の付き合いじゃない。自分の心の中に封印したもの。
「分かってるよ。ちゃんと、分かってたよ。」
 要は微笑んだ。彼女のことが好きだ。だから、彼女を悲しませたくはない。そのためには、もはやちっぽけなプライドは捨てるしかない。
「ただ、ちょっと嫉妬してただけなんだ。僕も、松山さんのことが好きだったから。」
 晴香はぽかんとして要を見上げる。
 どうして自分はこの子を好きになってしまったのだろう。最初から負けは決まっていた。彼女はちゃんと本物を見分けられる。そんな彼女の前で偽りを続けてきた自分に勝ち目はない。
「高嶋と上手くやれよ。あいつは、そんなに悪い奴じゃない。まあ、頭はすこぶる悪いけどね。」
 要は笑った。
 高嶋の髪型や服装は気に入らないが、それで誰かを傷つけるわけではない。ちょっとした小競り合いはあったが、全て高嶋が悪いわけでもない。あの格好のせいで生意気だと絡まれることは少なくなかったようだが、高嶋から手を出したわけではない。三年間風紀委員を務めてきたおかげで、その辺の事情には詳しくなった。間違っても優等生とは言えないが、悪い奴ではない。高嶋が見た目で誤解されるタイプだということは要もよく知っていた。だからこそ、気に喰わなかったのだ。
 昔の自分と同じだったから。にもかかわらず、高嶋は決して自分を変えなかったから。自分を変えることを選んだ要とは正反対だったから。
 要は自分の選択を後悔してはいない。あの時、あのまま自分に固執していても良いことはなかったと思う。ただ、そろそろ封印を解いても良いのかもしれない。
「晴香!」
 校舎から高嶋が駆け出してきた。
「教室に行ったら、お前が竹下先輩に拉致られたって言うから……。」
 高嶋は晴香に駆け寄り肩を上下させながら息を吐く。裕二がどうやって晴香を連れ出して来たのかは知らないが、それなりに強引な方法をとったであろうことは予想がつく。
「高嶋。靴、上履きのままだぞ。」
 要は高嶋の足下を指差しながら言った。
「急いでたんだからしゃあないっしょ。これも校則違反っすか?」
 高嶋が顔を上げる。
「いや……。ただ、校舎に戻るときは靴底を拭いて上がるべきだろうな。」
「めんどくせ。」
「卓哉……。」
 晴香が窘めるように高嶋の袖を引く。要は初めて晴香が高嶋を名前で呼ぶのを聞いた。全く、仕方のないカップルだ。
「高嶋。松川さんにあまり面倒掛けるなよ。」
 要が言うと、高嶋はふてくされたように視線を反らす。
「まあ……あんじょうきばりや。」
 要は晴香に向かって言い、踵を返した。
「え? あんじょう……?」
「しっかり頑張れって意味。」
 要は振り返らずに片手を上げて、校門を出た。
「……あんじょうきばらなあかんのは自分の方ちゃうんか? なあ、彼女いない暦十八年の中野要君?」
「うるさいんや、あほ。」
 校門脇で待っていた裕二にボディーブローを返して、要は母校を後にした。

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