ここち

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武士桜


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(4)

 薄紅色の花弁が舞う桜の木の下で、勝太は割れた巨石の前にしゃがみ込んで手を合わせていた。
「どうか成仏してください。」
 勝太は目を閉じてそう唱えた後、一息吐いて立ち上がった。巨石の前には真新しい板切れが立てられ、表面には墨の文字が滲んでいる。
 しばらくの間、勝太はぼんやりと巨石とその前の板切れを見つめていた。ずっと史上最強の武士の墓だと信じていた場所は、いまや村を襲った山賊の墓になってしまった。それは他の村人たちが、村を襲った山賊を村の共同墓地に埋葬することに抵抗を示したからで、勝太は仕方なく、共同墓地とは正反対の村の西の外れに山賊の墓を作ることにした。結果として、山賊の墓は母の墓と並ぶことになってしまい、大きな桜の木の下は山賊の墓には少しばかりもったいない場所のようにも思える。それでもこうしてきちんと埋葬してやったことは正しかったと勝太は思う。
 自分や千代、修次郎を殺そうとした山賊は憎いが、死んでしまったらみんな仏様だ。綺麗な桜の下で少しでも改心して、極楽浄土へ行っていればいいと勝太は願った。
 武士は大切なものを守るために刀を振るう。殺すためではない。だから、たとえ敵であって死者には敬意を払う。敵には敵の守るべきものがあったはずだから。それが勝太が父から教わった武士の誇り、その勝太なりの解釈だった。
 父がこっそりと鍛練を続けていたのも、西方での一気に加勢すると言って家を出たのも、全ては守るためだった。父が結局は負けてしまった武士を史上最強の武士と躊躇いなく呼んだのも、その武士がが守ろうとし続ける者だったからに違いない。
「まだ怒ってるのか?」
 空からの声に、勝太は桜の木を見上げた。横へ伸びた太い枝に器用に両足を載せて座り、幹にもたれながら修次郎は小太刀を片手に太い枝を削っていた。何の意味があるのかは知らないが、暇潰しと称して朝からずっと作業を続けていた。今も修次郎の視線は真っ直ぐ手元に向けられていて勝太を見てはいない。
「別に怒ってないよ。俺が本気で心配したのに、死んだ振りして昼寝してたことなんか。」
 勝太はわざと嫌味たらしく言って俯いた。
 山賊を切って倒れた後、静かに目を閉じた修次郎は死んではいなかった。ただ眠っていただけなのである。
 勝太とが千代が我慢し切れずに声を上げて泣く中、修次郎は突然飛び起きた。
「うるさい! 俺は昨日からろくに寝てないんだ。静かにしろ!」
 そう勝太と千代に向かって叫んだ後、修次郎は身体を横に向け、すぐに寝息を立て始めたのだ。あまりに予想外の出来事に、勝太はしばらくの間、口を利くことが出来なかった。
 後になって、修次郎が懐に木の枝を隠し持っていて、山賊の刃は修次郎には深く刺さらなかったこと、着物を汚していた赤い液体も、確かに一部は修次郎の血に違いなかったが、ほとんどは修次郎が千代と飯事をするために山で集めて来た赤い実の汁だったことが判明した。修次郎は僅かに切り傷を作っただけだったのである。
「そのことじゃない。」
 修次郎はばつが悪そうに沈黙した後、絞り出すような声で言った。勝太が修次郎を見上げると、修次郎は作業の手を休めて、勝太とは反対の方へ視線を落としていた。
「俺があいつを殺したことだ。生かして逃がすことも出来た。」
 修次郎の押し殺したような声が勝太には苦しかった。
「怒ってなんかないよ。修次郎は俺と千代を助けてくれたんだから。」
 勝太は俯いて視線を斜めに落としながら言った。確かに、怒りを感じてはいなかった。ただ怖かった。刀が人殺しの道具で、武士は時に人を殺すものだということ、修次郎とて例外ではないということを思い知らされた。自分の憧れていた武士が必ずしも清らかな正義の味方ではないのだと、頭では分かっていたはずのことを初めて現実に理解した。
 修次郎のしたことを正義と断定することはできないが、悪だとも思わない。少なくとも、自分と千代は修次郎によって救われた。しかし、勝太が修次郎を責められなかった理由はそれだけではなかった。今回の件で、誰よりも深く傷付いているのが修次郎自身なのだと悟ったからだ。
 しばらくの間、不自然な沈黙が続いて、勝太はそれを破ろうと口を開いた。
「それよりさ、この字、下手くそだよ。俺、全然読めない。」
 勝太は板切れに書かれた文字を見ながら言った。板切れに書かれた文字は文字と言うよりも畑から掘り出されたミミズのようで格好が悪い。
「文句があるならお前が書けば良かっただろうが。」
 空から不愉快そうな声が降って来て、勝太は上を見上げた。桜の太い枝に座り、幹にもたれながら修次郎が勝太を見下ろして睨んでいた。
「俺は字が書けないし、修次郎に頼むしかなかったんだよ。」
「だったら文句を言うな。お前に読めなくたってちゃんと書いてあるんだよ。」
 修次郎の口調はやや投げ遣りな、いつもの修次郎らしい口調に戻っていた。
「お兄ちゃーん、修次郎さーん。ご飯出来たよー!」
 声に気付いて村の方へ目を向けると、遠くから千代が呼んでいた。
「すぐ行くー!」
 勝太は両手で筒を作るようにして千代に答えた。声が届いたのか、千代はくるりと背を向けて家へ戻って行く。
「行こう、修次郎。」
 勝太は木の上の修次郎に声を掛け、先に家へと歩き出した。
「待て、勝太。」
 声と共に、地面を磨る音が背後から聞こえた。修次郎が桜の木から飛び降りたらしい。勝太がゆっくりと振り返ると、かつんと硬いもので頭を叩かれた。
「痛ぇ。」
 勝太が額を押さえた手の隙間から覗くと、修次郎は勝太の間の前に一本の木刀を差し出していた。
「え?」
 頭の痛みを忘れ、勝太はきょとんと修次郎の顔を見た。
「ガキの玩具にはこれで十分だろう。」
 差し出された木刀は荒削りで、むしろ杖や杭と呼ぶべきもののようにも見える。皮を剥いでいい加減に削られただけの枝は少々歪んでいた。
「これ、木刀?」
 勝太が聞き返すと、修次郎はむっとした様子で勝太に木刀を押し付けた。
「どうせただの棒切れにしか見えねえって言うんだろ。けどなあ、お前が最初に持ってた奴だって同じようなもんだったぞ。材料だって同じ桜の木を使ってるんだ。」
 修次郎は怒った口調で言いながら、腕を組んで桜の木を振り返った。
 今朝、修次郎がずっと木の上で作業していたのはこの木刀のためだったのだ。いや、今朝だけではない。山賊が襲って来たあの朝も、修次郎は桜の木の上で木刀を削り出していたのだ。もしかしたら、勝太が朝の鍛練を始めるずっと前から、徹夜で作業を続けていたのかもしれない。それなら、山賊との戦いの後、すぐに眠り始めてしまった理由も説明が付く。
「別にそんなこと言ってない。ただ……。」
 木刀を持って、勝太は言い淀んだ。真剣ではないにしても、刀は人殺しの道具だ。それを思い知ったばかりだった。勝太は前のように武士を目指して鍛練を繰り返すことが自分にとって本当に正しいことなのか信じられなくなっていた。刀を持つことで、いつか自分も人を殺さざるを得なくなるのではないかと怖かった。
「守るんだろ、千代とこの村を。」
 修次郎の声はいつもの投げ遣りなものではなく、恐怖を覚えるようなものでもなく、優しく心強い父の声に似ていた。
「修次郎。」
 見上げた勝太に、修次郎は微笑んだ。
「ほら、行くぞ。千代と飯が待ってる。」
 修次郎は勝太の背中を叩き、先に村へと歩き出した。背中を叩かれて二三歩よろけた勝太も慌てて修次郎の後を追う。手にはしっかりと木刀を握って。大切なものを守るという武士の誇りを持って。

《了》


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