ここち

HOME >> 短編小説 >>

Limit Over

〜チームの栄光は輝ける星の下で〜

(1)  (2)  (3)  (4)

(4)

 控え室の片隅で、川中は半透明の身体のまま重い空気に苛立っていた。武里の口から自分の死が告げられたことは些かの動揺を招いたが、本当に死んでしまったのだとしたら今更どうしようもないし、これがそもそも夢だとしたら嘆くことではない。しかし、チーム内のこの険悪で重たい雰囲気はたとえ夢でも耐えがたかった。西藤の口調が厳しいのはいつものことだが、他のチームメイトの沈んだ顔が気に入らない。
 こういう時は必ず一つ二つ冗談を言って場を和ませる人間がいるはずなのだが、川中はそれが今まで自分の役割だったことを思い出した。玉木は完全に萎縮している。頼りの本宮も心身ともに疲労しているようで、他人のフォローに力を注げる状態ではない。
 玉木は沈黙していた。ワールドカップは玉木にとっても夢の舞台だ。自らの意思でその場を去りたいとは思わないだろう。だからと言って、今の状態で後半を戦い続けられるはずもない。
「玉木の代わりに大原を入れてください!」
 西藤がシーゴ監督に向かって再び声を荒げた。
「攻めて点を取らなきゃ勝てないんだ!」
 西藤は畳み掛けるように続ける。
「だけど……。」
 本宮が呟くように口を挟んだ。本人には声を出したつもりはなかったのかもしれない。西藤が睨むように本宮を見て、本宮ははっと息を飲んだ。一度口に出してしまった以上、なかったことにしてくれと言えば余計に西藤の気分を害すことは間違いない。本宮は仕方なく先を続けた。
「攻めるつもりなら尚更、玉木は残した方が良いと俺は思う。点を取るのに玉木の足は必要だ。前半は少し緊張してただけだよ、な、玉木?」
 本宮が笑顔で玉木の肩を叩く。
「でも、こいつのせいでディフェンスの負担が増してるのはあんただって分かってるだろう?」
 西藤はしつこく食い下がる。
「そうだよ、分かってる俺が言ってんだよ!」
 ついに本宮が声を荒げた。全員、疲れている。心身共に。
 川中の苛立ちも頂点に達していた。元はと言えば、自分が試合開始と同時に倒れたことがそもそもの原因だ。交通事故の後、中途半端に蘇生しなければ、最初から玉木がスタメンで出場していただろうし、玉木もしつこく動揺を引きずることはなかっただろう。交代のカードも三枚きちんと残っていたはずなのだ。
 メンタル面の弱い玉木をサポートするため、これまで少しばかり玉木を甘やかし過ぎたことも影響しているのかもしれない。玉木には早いうちに挫折を味わわせておくべきだったのかもしれない。
 後悔先立たずとはよく言ったもので、今更自らの行いを悔いたところで事態は一向に好転しない。
「まずはきっちり守ろう。それから……。」
 本宮が今度は穏やかに口を開いた。
「こいつがいたら攻められませんよ。」
 西藤が顎で玉木を差す。本宮が疲れた様子でため息を吐いた。どの選手も視線を下へ向けている。川中は堪りかねて、届かないと知りつつ、声を上げた。
「まだ前半が終わっただけなんだぞ!? そんなしけた面で後半どうすんだよ! 勝つんだろ? 攻めて攻めて点を取れ!」
 ふっと玉木の顔が上を向いた。目は虚ろだ。川中は玉木に向かって届かぬ声を更に大きくした。
「お前は俺の代わりにピッチに入ったんだ。お前がエースになるんだ! 点を取れ! いつもみたいに走り回れ! 逃げるんじゃない!」
 玉木が再び下を向いた。しかし、すぐに正面を向いた顔は明らかにそれまでと変わっていた。その顔を見て、シーゴ監督がにこりと笑う。
「後半、行けるね?」
「はい、大丈夫です。」
 玉木の笑顔に、本宮も笑った。西藤は顔を顰めたが、それ以上は何も言わない。
「後半は攻撃中心で行こう。高沢と玉木のツートップを上手く使って、ディフェンスラインも上げてプレッシャーを掛けよう。」
 シーゴ監督が通訳を介して言った。選手たちが顔を上げる。表情に士気が戻って来た。
「川中のためにも、この試合、勝とう。点を取ろう。」
 本宮が言い、選手はそれぞれ同意を示した。
 十五分のハーフタイムが終わりに近付いて、選手はそれぞれ控え室を出て行く。
「本当に大丈夫なのか?」
 最後に控え室に残った玉木に西藤が声を掛けた。言い方はぶっきらぼうだが、嫌味ではない。
「はい、大丈夫です。」
 玉木は顔を上げ、笑顔で答えた。西藤は小さく息を吐き、ふいと玉木に背を向ける。
「後半、お前に回すからな。前半高沢が走った分、後半はお前が動け。」
 そう言い残して、西藤は一足先に控え室を出て行った。
「はい。よろしくお願いします!」
 玉木は明るく声を張り上げる。西藤の背中がほんの少し、笑ったように見えた。玉木は川中のロッカーに触れて黙祷を捧げた後、控え室を出た。

 ハーフタイムが終わって、再び選手がピッチへ戻る。
「頑張れ、玉ちゃん。」
 ピッチへ入る玉木に、川中はしっかりとエールを送った。そこはまだピッチの外だったから、約束通り、愛称で。
 後半、日本の動きは明らかに良くなっていた。前半の不調が嘘のように動きの良くなった玉木に、オーストラリアの選手が翻弄される。西藤の絶妙なパスはすぐに日本に得点チャンスを作った。
 西藤の上げたクロスがスペースに走り込んだ玉木に繋がり、玉木の右足を離れたボールは真っ直ぐにゴールへ向かう。勢いのあるボールはキーパーの手を掠めてゴールネットを揺らした。スタジアムが歓声を上げ、ゴールを決めた玉木に次々とチームメイトが飛び掛り、玉木は芝生の上に倒れ込んだ。
 シュートチャンスを作った西藤は輪には加わらず、遠くからその様子を眺めて微かに笑みを見せた。
「ナイスアシスト。」
 本宮がポンと西藤の肩を叩く、西藤は無表情に戻ってふいと顔を背ける。照れくさいのだろう。それが分かっている本宮は余計におかしくなってにんまりと笑みを広げた。
 後半の流れは完全に日本が取り返していた。日本の先制に危機感を強くしたオーストラリアは選手交代でフォワードを強化して反撃してきたものの、ディフェンス陣とキーパーの奈良井がきっちりゴールを守り切った。
 結果は一対〇。確かな勝利だった。
 試合終了後、選手控え室へ戻る途中で、玉木はマスコミに取り囲まれた。
「まずは一勝、おめでとうございます!」
 レポーターは興奮した様子でマイクを向けてくる。
「はい、ありがとうございます。」
 玉木は笑顔で答えた。
「ワールドカップ初出場で初ゴールとなりましたが……?」
「はい。とても嬉しいです。」
「決勝点ですからね。大活躍ですね。」
「でも、僕がゴールを決められたのも、試合に勝てたのも他のみんなのおかげです。」
「前半は少し調子が悪かったですね?」
「ええ。前半は他のみんなに迷惑を掛けてしまったので、後半で取り返せてほっとしました。」
「川中選手が亡くなられたことはもうご存知ですか?」
 目の前でマイクを向けているレポーターのその背後から、声が飛んで来た。はっと息を飲む。
「ハーフタイムに、聞きました。」
「その後、調子が上がったのは、川中選手の死を聞いたことでやる気が出た?」
 以前の玉木なら、川中の死が話題に出た時点でそそくさとその場から逃げ出していたかもしれない。
「いえ、むしろ動揺してしまって……。トシは大切なチームメイトであると同時にずっと憧れの選手でもありましたから……。ただ、あの時、声を聞いたんです。」
 玉木はにこりと笑った。目の前のリポーターが首を傾げる。
「点を取れって、トシの声が聞こえたんです。その後、監督もキャプテンも攻めようって……もしかしたら他のみんなにも同じ声が聞こえてたんじゃないかなって思うんですけど……。」
「川中選手の幽霊が出た、と?」
「あ、いや、幽霊ではないかもしれないんですけど……すみません、幻聴だったのかも。」
 思わずぺらぺらと喋ってしまったことの内容があまりにも突拍子もないことだということに気付いて、玉木は照れくさそうに頭を掻いた。
「でも、少なくとも、トシはずっと一緒に戦っていました。僕はそう思います。」
 ハーフタイムが終わってピッチに戻る時に聞いた声は、間違いなく川中のものだった。
 ――頑張れ、玉ちゃん。
 頑張るよ、トシ――。
 心の中で答えた声は、川中に届いただろうか。

 試合終了のホイッスルを聞くと同時に、川中の意識はスタジアムを離れた。三度目になる真っ白の空間。目の前に、例の老人がいた。
「頭は冷えましたか。」
 老人が穏やかに微笑んで尋ねる。
「ああ。ここはむしろ熱くなったけどな。」
 川中は自分の胸を親指で差しながら答えた。
「では、天国へ行かれますね?」
「ああ。悔しいけど、俺は役割を果たしたと思う。」
 川中は静かに言って笑みを見せた。この先は玉木が日本代表のエースを務めるだろう。自分の仕事は玉木をワールドカップまで連れてくることだったのではないかと川中は思っていた。
「天国では、新たな役割があなたを待っていますよ。」
 老人が笑った。
「へえ、どんな?」
「天国でもサッカーは人気のスポーツなんです。あなたのファンも多いのですよ。」
「そりゃ面白えな。じゃあ、ワールドカップの中継も見られるよな? 玉ちゃんの活躍を応援したいんだ。」
「もちろん。全試合生中継です。」
「じゃあ、早く行こうぜ。確かこの後も試合があるはずだろ?」
「ええ、アメリカ対チェコ戦が。」
「さすが全知全能の神様だ。」
 川中は笑い、老人が差し出した手を取った。

 怒涛の取材攻勢の後に、日本代表はスタジアムを出た。既に日没。選手たちが続々とバスに乗り込む中、本宮はふと足を止めた。徐に空を仰ぐと、星が瞬いている。日本で見るよりも数が多いと本宮は思った。
 天の中央に、一際強く輝く星がある。
 ――次も勝つよ、トシ。
 カイザースラウテルンの小高い丘の上で、本宮は左手を空高くに掲げた。

《了》


前頁 - 執筆後記
●○ 読んだ記念にポチッとどうぞ。↓ ○●
 

返信をご希望の場合や長文となる場合には
通常メールフォームが便利です。

●Novegle対応ページ ◎作者:桐生愛子(きりゅうあいこ)◎カテゴリ:現代◎長さ:中短編◎あらすじ:Jリーグのスター選手・川中俊和は、W杯日本代表に選ばれたその日、交通事故で命を落とす。念願のW杯出場を諦めきれない彼は、神様に頼み込み、W杯までの条件でこの世に甦るが……。サッカー青春群像小説。

HOME >> 短編小説 >>

Copyright © 2006 Aiko Kiryu. All rights reserved.